2001/8/24付の次郎さんの一般投稿の内容に即して、2001/8/22付の堀井の一般投稿について補足的なコメントをしておきます。
> 共産主義にこだわるつもりはもともとないのですが。
> 自分の目で見て自分の頭で考えれば別に共産主義でもなんでもよいのです。
私自身、別に誰かが「共産主義者」であろうがなかろうが、どうでもいいと思っております。自分が「共産趣味者」であることは間違いないですけど(笑)。
私が言いたいのは、「共産主義者」である以上、マルクスの言う「国家の死滅」の理念を、ないがしろにするわけにはいかないだろう、という、いわば、「共産主義(者)」の定義の問題についてです。
> いわゆる教条主義が多いのが共産主義の特徴です。
そうかもしれません。ただ、「教条主義」というのは、理念そのものから発生するものではなく、その理念を実現するプロセスにおいて発生するものです。「プロレタリア独裁」を経て「国家の死滅」に至る、という理念そのものを堅持すること自体は、思想信条の自由に含まれる事柄でしょう。
問題はプロセスであって、そのプロセスについて、「共産主義者」の諸君には重大な説明責任があるのではないか、ということが私の言いたいことの、ほぼ全てです。「高税高福祉国家」は、そのプロセスにおいて、どのように位置づけられるのでしょうか?
> 便宜上国家を作っているだけであって別に無くてよい時期がくれば自然解消されるでしょう。
本当に、そうなら、私自身は別にいいんですけど、では、「共産主義(者)」の存在理由は一体、何なのか、「共産主義者」の、どなたかによる明快な説明を「共産趣味者」として期待しております。
綱領改革なくして人気回復なし、でしょう(笑)。