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一般投稿欄

党員投稿欄 8月21日 平山薫氏「靖国神社参拝」への反論

2001/8/27 デルタ、20代

 「党員投稿欄」8月21日 平山薫氏「靖国神社参拝」について、私は非党員であるため「一般投稿欄」に投稿します。

 この投稿は、自由主義史観の考え方そのものであり、本当に日本共産党の党員である方のお考えならば、とても残念に思います。藤岡信勝氏が、90年の湾岸戦争における「日本」の対応が「国家としての体をなしていなかった」と気付き、自由主義史観の活動を始めた、と述べているのと相似形です。

 靖国問題は[そして教科書問題は]、単に韓国・中国に言われたから改めるという後ろ向きの姿勢ではなく、我々日本社会の構成員自身の問題として考えるべきものです。

 日本社会の構成員にとって、靖国神社に象徴される戦前の日本社会はどんな社会であったか、そして小泉首相や石原都知事が靖国神社に参拝する意味、その勢力は日本社会を今後どの方向に導こうとしているか、[そして扶桑社の、特に公民分野の教科書が、日本社会をどのような方向に導こうとしているのか]そのことを考えれば、我々の取るべき態度は明らかでしょう。

 問題は「韓国・中国」対「日本」という対立・内政干渉の構図ではありません。そう捉えると「日本」の内部構造がすっぽり抜け落ちてしまいます。「日本」「日本人」を主語にして、あたかも政府と全国民が一体であるかのような物言いをするのが、自由主義史観や扶桑社の教科書の最も得意とするところです。

 そうではなく、日本社会の中で、小泉首相や石原都知事に代表される新しいナショナリズムに、我々自身がどう立ち向かうか、という構図です。我々の主張が韓国・中国の主張と部分的に重なるからといって、それは自虐でも押しつけられた史観でも何でもなく、日本社会の方向を、人間の尊厳に立脚して考える、独立した立場と考えます。