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革命政党から国民政党への転換を

2001/8/11 森田 進、60代、無職

 参院選挙では共産党が大幅に議席を減らしました。原因については直接的には共産党の政策が国民に支持されなかったことです。このことについては、さまざまな意見が散見します。選挙の直接的な敗因はおくとして、従来から出されている共産党に対するさまざまな要求、不満、非難についてですが、それらの多くの意見を荒っぽくひと括りするなら“革命政党から国民政党への転換を”のスローガンに収斂されるのではないかと、一人勝手に考えています。理由ですが、革命政党の骨格をなす哲学が史的唯物論であり、史的唯物論の基本法則である「階級闘争が原動力だというのは、史的唯物論の根本問題」(史的唯物論研究 不破 哲三 12P 新日本出版社)であり、階級闘争とは、思想闘争、経済闘争、政治闘争であると、教わって来ましたがこの考えをそろそろ捨てる時期にきていると思います。
 今日では狩猟採集時代から農耕牧畜時代への突入こそ人類史の決定的転換点であり、人類が自然界から自立へと歩み出した決定的な1歩だったのだ、と。この視点からみると「マルクスの原始共産制論には、この農耕社会と狩猟社会の分析がありません」(地球の哲学 212P 梅原 猛:松井 孝典 PHP)と、この前提の上で「現代の諸問題も視点に入れて、宇宙、生命、人類の歴史のなかで人間を位置付けて、生産関係でも、フローとストックの関係でもいいですから分析して解明していくのが現代における「史的唯物論」の立場ではないかと思うのですが、どうもまだやっていませんね。 むしろ逆に、私の説はよく、「松井唯物論」ではないかといわれてしまいます。実際私は自然科学者なわけで、私のほうがよほど確固たる唯物論者だと思っています。けれでも私は、マルクスが提起した歴史に学ぶ考え方とか、生産とか所有という概念は、いまでも現代文明を考える上でキーワードになると思っています。マルクスの限界は限界として批判できますが、その方向性はいいわけです。ですから、むしろマルクスの思想を発展させるという発想に立つべきだと思います。」(前掲書 松井 孝典 213P~214P)
 私は、マルクスの学説のなかで「階級闘争が社会発展における原動力であるという『階級闘争説』」を史的唯物論の主軸におくのは無理があるとみています。あったとしてもあくまでも二次的なことにすぎない、と。『生命40億年』の視点から自然の歴史を見ると決定的なのは農耕牧畜時代への突入により地球的自然から自立した『人間分化圏』(松井孝典)の成立こそ決定的な第1歩であったのだと、理解するようになりました。その後の人類の歴史、階級、国家の成立から今日の高度資本主義までの歩みについての従来の説は変更される必要があります。そして、革命とは国家権力の問題であるという旧来の『革命観』も放棄すること、当然組織原則である「民主集中制」も、革命政党から国民政党への転換を通じて放棄されるとおもいます。、異なった意見との対応も『思想闘争』(階級闘争の一つとしての)という位置付けから外せば「相手の論理の核心部分を論破しなくてはならない」(不破 哲三)という非生産的、破壊的論争はなくなり論争を通じて双方がさらに高い段階に到達する実り豊かな討論へと変わっていくと思います。