>2001/8/8 浩二、40代
浩二さんと全く立場は違いますが、左翼が社会主義の展望を示さないがゆえに右翼の「改革」のデマゴギーや宗教政党にやられているという問題意識を共有します。
(でもネオナチ石原の発言を肯定的に引用する意味は分かりません。石原の名前を聞くだけで不愉快ですので、意味不明な引用はやめていただきたい。あなたには分からないでしょうが、彼の存在自体が被差別者にとっては脅威であり、悪夢なのです。石原が「三国人」発言をしたとき、日本人に襲撃される夢にうなされた人が何万人もいるのです。あなたには分からないでしょうが。)
>消費税を3%に減税する、社会福祉を切り詰めない、サービス残業をなくす。これらの政策が果たして、有権者にとって「壮大な展望」と認識されたでしょうか? そうでなかったことは、選挙結果が如実に物語っていると思います。
共産党が改良主義化し、社会主義の展望をもはや掲げなくなったのは事実です。もし仮に社会主義の展望を正面から掲げて闘えば、選挙ではより惨敗するでしょうが、将来の闘いの展望は開けるでしょう。共産党に社会主義の展望を求めるのは、この議会政党にはもはやないものねだりのような気がします。
>日本共産党が石原慎太郎に是々非々で臨んだのは、石原慎太郎のやっていること、言っていることを全否定できなくなったことが理由なのであり、それはきわめて当然のことです。
なにを「全否定できない」のか知らないけど、ネオナチ石原の「石原慎太郎の考えに謙虚に耳を傾けるなら、日本共産党が石原慎太郎に対して是々非々の態度を取ったのはきわめて当然なのだと、そういうふうに認識できるはずのものです。」のなら、当然ヒトラーに対しても是々非々でしょうね。まあ、あなたに何を言っても分からないでしょうが。
>利潤第一主義ではない社会をめざすのが日本共産党のロマンです。しかし、「利潤第一主義ではない社会」とはいったいどういう社会なのか、日本共産党は説明しようとしません。「利潤第一主義ではない社会」がいったいどういう経済システムで動くのか、これを日本共産党は説明しようとしません。日本共産党がこうしたことを説明した実績がありますか? 説明した実績もないくせに、「利潤第一主義ではない社会」がいずれ来るんだと、それが日本共産党のロマンなんだと、こんな意味不明をいくら言ったところで、こんなものに賛同する有権者のいるはずもないのです。
あなたのおっしゃる通り、共産党は1970年代以降、社会主義をまともに描こうとしません。
1960年代までは、「民族民主革命」などのトンチンカンな綱領を掲げていたとはいえ、社会主義をそれなりに主張していました。しかしスターリン主義に関する問題意識がなく、ソ連や中国を肯定的に評価するものでした。
1970年代以降は、改良主義化を進め、「市場社会主義」に接近していき、社会民主主義との違いは分からなくなっていきました。社会主義の事実上の放棄は、第20回党大会での綱領改訂で確定したと思います。
>「利潤第一主義ではない社会」とは、いったいどういう社会なんですか? 「利潤第一主義ではない社会」における経済システムは、いったいどういうシステムなんですか?儲けたい、利潤を得たい、人よりいい生活をしたい、人よりいい思いをしたい。こうした素朴な欲望が日本共産党の批判する利潤第一主義社会を支えています。
それは全く話が逆です。資本主義だからこそ、「儲けたい、利潤を得たい」などという意識が生まれるのです。人間の意識は、永久不変のものでなく、社会体制の変化に従って変わるものです。
>日本共産党はしかし、これをくつがえそうというわけです。ならば、「利潤第一主義ではない社会」で生きる人間の儲けたい、利潤を得たい、人よりいい生活をしたい、人よりいい思いをしたいという欲望を、いったいどうするおつもりでしょう? それとも、日本共産党のいう「利潤第一主義ではない社会」に生きる人間は、儲けたい、利潤を得たい、人よりいい生活をしたい、人よりいい思いをしたいという素朴な欲望を「超越した人間」だとでも言うのでしょうか?ならば、そういう「超越した人間」はどのように生まれるのでしょう?
階級社会でなくなれば、そのような欲望は不要になります。
すべての人が生活に困らなければ、他者と競争して金を得る必要もありません。階級社会特有の現象なのです。