有田芳生氏を戦後の十人にあげたことへのご不審とご質問ありがとうございます。有田氏は京都の「民主的経営論」の有田光雄氏の息子さんですが、そのことを根拠としてはいません。立命館大学の学生運動の誠実な活動家でした。彼が新日本出版社に勤め、文化評論で取り組んだ企画。さらに教育史料出版会で発行した「日本共産党への手紙」は松岡英夫氏との共同編集です。私はこの「さざ波通信」の源流に「日本共産党への手紙」を位置づけています。彼は上田耕一郎氏を信頼し、最後まで日本共産党全体の善意を信頼していました。統一戦線の立場に立ち、住井すゑさんや加藤周一さんなど広範な人々の提言を集めました。今、ワイドショーに出演し、テレサ・テンの中国民主化との関連を執筆し、都はるみに在日のハンを歌心に探っています。私が彼を評価するのは、有田氏が田口富久治氏や加藤哲郎氏、さらには石堂清倫氏に連なるマルクス・ルネッサンスの系列下に存在すると思うからなのです。芝田進午氏がバイオ裁判に取り組んだ時も、なんどもルポルタージュを執筆し続けたのをご存じですか? 統一協会やオウム真理教に取り組み続けた仕事も?
川上徹氏(筑摩書房刊)『査問』を読むと、戦後社会主義運動史で何が起きたか、何が許されないことなのかを見事に素描しています。川上氏は優秀な再建全学連の委員長として活躍しました 。有田氏は、上田耕一郎氏と小田実氏との、日本共産党と無党派民主主義者との共同に取り組み続けました。前進する日本共産党が広く善意の知識人との連携を組み、共に国政革新のテーブルにつき日本の「救国」のために自立的主体的に、革新統一都知事候補だった松岡英夫氏とともに取り組みました。その彼を二度の査問が待っていました。
多くの良心的読者に是非有田芳生氏のホームページの中の「共産党」のスペースを読まれることをお勧めします。先入観なく事実を知ると、なぜ私が戦後社会主義運動史のベスト10に評価したかがわかります。
何もしなければ、査問も除籍もないでしょう。何もしない何も自発的に運動に取り組まない活動家、上からの指令でしか動かない活動家が増えたことが、共産党を沈滞化させていることに気づかねば「柔らかな準ファシズム」体制を改革するだけの日本共産党は再生しないでしょう。