ご意見ありがとうございます。
私は、本当に共産党員です。皆さんと同じような内容で、リアルの世界では、党員の立場で公式なコメントとする事が多いですが、最近は、この回答では通用しない場面に遭遇することが多くなってきました。彼らの中で、私が受け入れられるものに対する見解を敢えて、ネットの世界で議論したくて投稿しました。同時に、先の教科書問題での投稿に関連する議論の延長線上の議論でもあります。
基本的に、先日の投稿の範囲内に関しては、私の考えが、その一部において自由主義史観と同一であるといわれればその通りでしょう。私自身が耐えられない部分に関しては記述していないという事は説明不要でしょう。しかし、私の意見と同じ事を「作る会」が、全体の意見として述べているのかどうか、私は確信がありません。小林よしのり氏が、一部の意見をゴーマニズム宣言で述べていることは知っておりますが、そこに記述されていないことも述べています。
私は、「作る会」の擁護をしているのではないので、ここで検証する気はないです。自分の見解ですので、「作る会」と重なる部分があろうがなかろうが、それは単なる結果です。この事に、私の中では何ら意味を持ちません。「作る会」の意見であっても、「作る会」の意見でなくても、これらの問題には是々非々で、認められる部分に関しては、議論に乗って、賛同できる部分は賛同していく必要があるのではないでしょうか。そうしないと、我々の議論の非論理的な部分を突かれてしまうと、大衆の支持は得られないでしょう。彼らの見解が、保守層を中心として一定の支持を得ているというのは、是々非々で個別の意見に対して支持を得ているということであり、逆に我々の立場の意見が伸びないのは、非論理性に辟易しているのが原因です。
「作る会」の思想が、どの点がどの様に危険であるかに関する記述が一切なく、全体で捕らえろと言われても、思想的な前提としての、自由主義史観に関する知識がない人には一切通用しません。敵であるという前提に立たない場合、「作る会」の意見に対しては、是々非々で望むでしょうから、是々非々で論じることを全否定して、彼らの思想と、同一であるという見解、そこから一足飛びに、「作る会」の意見全てに賛成しているかのような受け取り方、更に、思想の実現に近づく、とまで言われてしまっては、納得できないでしょう。
何故、個々の問題に答えて貰えないのでしょうか? 私が論じているのは、一部の問題で、彼の思想全体について論じているのではないし、その事に興味があるのではなく、この問題に対する意見を聞きたいのに、答えて貰えないのは困る、というのが本音です。一つの問題を論じるときに、隣接する分野であるとはいえ、他の見解を引き合いに出して、引き合いに出した方の意見が通用しないものであることを理由に、本来論じようとしている意見も含め、その人の意見全てを否定するのはいかがなものでしょうか。
本来論じている問題に関しては触れていないのですから、議論が噛み合っているとは言い難いです。このすり替えは、聞く人にとっては、単に言いがかりかこじつけの域を出ないのではないでしょうか。
危険思想を隣接する分野で持っている人であるという事のみで、検討に値する問題まで含めて、彼の発言全てを否定してしまうのは、共通の思想基盤のない人には通用しないものです。
私が討論の相手なら、逆に、議論できずに負けを認めたという印象をもちます。
A級戦犯の復活(名誉回復)は、私は意図しておりません。犯罪者であっても、個人が墓参りに行くことは、日本の文化的背景著しては認められるということ、右翼にも思想信条の自由は認められるということ、そして、信教の自由も認められるということ。ましてや、靖国神社がゆがんだ宗教であっても。それを認めるのが文化的背景である日本に対して、諸外国が許さないというのは、文化に対する不当な干渉であるという事。私的参拝まで否定する事の意味を感じてください。
日本人の立場として、正しい部分は正しいという、間違っている部分は間違っているという、その部分は、個別の問題として考えるべきです。当然、新しいナショナリズムの部分も、靖国神社、戦争肯定の部分も個別に議論するのです。個別に反対意見を表明していくのです。
文化的な側面を否定する相手に反対意見を述べる事は弁解でしょうか? 自由主義史観全体を肯定しているという前提に立って、大東亜戦争は、アジア解放の役に立った、そういう側面もあった、とか、特攻隊員の思いを否定するのか?という聞くに堪えない論理の肯定まで私が賛成している、日本の罪まで居直っている、彼らの思想の他の部分まで賛成しているという前提に立っていませんか? そういう印象を受ける反論でしたがいかがでしょうか? こういう批判がくるという事、これ自体を一番の問題点として私は認識しているのです。
いつまでも討論を逃げ切れるものではありません。実際に、私は、皆さんと同じような理論展開をして何度も論破された経験から、この様な考えに至りました。ナショナリズムに影響を受けた人の意見を自分なりに消化したつもりです。その為、文章表現上見苦しい部分はあるでしょう。しかし、こういう見解が通用しているのが現実です。前回の投稿の表現は、ウエブ上での討論ですので、実験的に使いました。これらの議論に噛み合うように、もう一度、歴史問題を、是々非々で、洗いなおしていかないと、大衆は、新しいナショナリズムに付いて行きます。その危険性こそ感じて下さい。