テロに対して個人の次元と、国の次元と、どう考えるか難しさがあります。個人の次元での犯罪への対応は、はっきりしています。加害者だけが社会的に制裁されるべきです。仇討ちは許されません。
日本による侵略に対して、原爆はどうか。テロリスト以外の人を一人でもあやめるのは許されないでしょう。
人の主体性を無視すると、誰かにそそのかされてやったとか、ドミノ理論みたいになるわけですが、テロ犯罪の主体は死んでいるようにも見えます。情報が操作されていますから、事実をつかみ、テロ犯罪をいかに国際的に刑事の次元で裁くかは至難の業です。
ただ大まかに言って、日本が中国を侵略しているときにテロは起きたし、北米合衆国が世界で干渉しているためにテロは起きるのでしょう。日本の米軍基地はなくすべきであり、勝手な軍事同盟をくむのではなく、国連を通じての国際紛争の解決を図るべきです。
そういう点では、蒋介石の中国もそうでしたが、今の中国も外交は巧みな感じがします。
日本は米国以外につながりがなく、外交手段が限られています。侵略の総括もないし、米軍基地もそのままです。とてもテロの根絶に貢献できるどころではない感じもしますが、それはなし崩しで我が国の原点が崩されたからであり、民衆の次元では憲法に立ち返って、憲法と同じ原理である国連憲章を実践させるべきです。
米国自体がヴェトナム侵略とかテロ国家のような歴史を持ち、テロもその姿勢の反映のようにも見えるだけに、単純な仇討ちの感覚ではだめで、世界史の原点に立ち返るべきだと思います。