*宣戦布告なきテロ行為、民間人を殺すことを目的とした、手段の残虐さは許されるものではない。テロも紛争も、いかなる理由があったとしても、許されることではない。全てのアメリカ人民は、戦争の悲惨さを、今回身をもって体験した。太平洋戦争では本土に戦禍が及ぶことはなかった。これを機会に、テロ支援国家である米国は、軍事戦略を抜本的に見直すべきである。アメリカのテロによる死者への冥福をお祈りする。同時に、これまでのアラブでの米軍の軍事力に起因する全ての死者への冥福も改めてお祈りする。
*アメリカが、泥沼の戦争に突入したとしても、支援するべきではない。これを機会に、有事法制を強化しようとしている政府の対応には、断固反対していく必要がある。テロ事件に関しては、経済支援(軍資金の提供)を始めとした一切の支援をさせない運動を続けていくことが重要である。
*報復行為を支援すると、新たな報復行為が生まれる。戦争に日本が巻き込まれる可能性が極めて大きい。世界の中で改めてアメリカの犬としての日本を明確に印象付けてしまう。強い要請が、まだない現時点で、自主的に支援を検討している日本政府の対応は明らかに間違っている。アメリカの行動を、世界の中で孤立させていく事は、世界の平和のためには必要である。
*戦争を繰り返すアメリカを無視していく事、「ならずもの国家」であるアメリカの論理を通用させないことが、今、一番必要なことである。
*そもそも、テロはなぜ起こったのか。アメリカが中東で何をしてきたのか。民間人を巻き添えにする不当な介入を、歴史上数々行ってきた。直接的な軍事介入、一部の国への支援など、米国の軍事力によって、多くの中東の人間の命が奪われてきた。自国の論理優先で、武器の輸出、ノウハウの輸出という形も含めて、アメリカこそ世界最大のテロ支援国家である。この意味を考えるのであれば、これまでのアメリカの行為に対する報復を、アラブの人が考えたとしても、やむをえない側面もある。アラブの各国に対して先に武力を行使したのはアメリカという事実は変わらない。先に人民を虐殺したのがアメリカであるのは、歴史的な事実であるのだから。今回の事件の始まりが、飛行機が突っ込んだことによって始まったと解釈することはきわめて一面的な見方である。歴史的な事件の始まりを、個別的な事件で切り離して考えるのは間違いを生む。米国の軍事的な報復が許されるというのであれば、同様の理論で、アラブのテロは許される。
*アラブの人の命によって裕福ななったアメリカ経済の象徴であるビルに働く人は、アラブの敵であるという論理が成り立つこと自体は理解できる。アラブとアメリカの間には、長い戦争の歴史があるのであり、今回の事件だけを取り上げることは、全体像を見失う。
*もし、今回の事件に始まったテロ事件という認識という、一方的なアメリカの主張を認めるのであれば、先進国中心の世界秩序のみに偏った、有色人種の命の軽視という人種差別に、有色人種である我々が加担することになる。共産党・社民党・新社会党は、今回の事件をきっかけに、真の世界平和をどの様に構築していくべきかということを改めて考え直すべきである。
以下余談:
今回の事件を、米国は、テロの実行を、実施前に知っていた。その証拠として、一機目の飛行機が墜落する瞬間の映像があることである。その映像には、ビルの下に、警察・消防が待機している事である。また、大統領は、テロ実施の日は、ホワイトハウスに帰れなかった。翌日、収まってから帰った。何故、テロがこれで収まったという結論に達したのであろうか? テロの計画は、米国が、実施前に情報を知っていたことを意味する。ハイジャックによる自爆テロであることを把握していたのかどうかは不明である。地上から忍び込む爆弾テロと誤解して、ビルの下で的外れな厳戒態勢をしいていた可能性は否定できない。しかし、厳戒態勢をしくだけの情報を得ているのであれば、人命は重視するべきであった。