> もし、欲しいものがないだけで不況が始まり、今の不況においての主たる要因であるのならば、賃金は貯蓄に回る。銀行は収益を挙げるのだから、貸し渋りはなくなるはずである。返されていない借金が、沢山先延ばしになっているので、銀行は懐が寒く、貸し渋りをする。貸し渋りをされることにより、借金を返す積極的な事業展開の出来ない会社が増える。
他の部分にも論理的に理解し難い部分がありますが、あちこち話を広げてもまとまりがつきませんので、取り合えず今までのテーマと関係が深いこの部分について述べます。
先ず、「賃金は貯蓄に回る。銀行は収益を挙げるのだから、貸し渋りはなくなるはずである。」という部分についてです。
この部分は、「貯蓄が増えると銀行が収益を上げる」という論理を含んでいると理解してよいのでしょうか? そうだとすると、理解し難い叙述です。「貯蓄」は銀行の「債務」ですから、「貯蓄が増えると銀行が収益を上げる」という論理には飛躍があります。その飛躍したところを補ったとき、貯蓄の増加が収益の拡大に結びつくのかが問題となるでしょう。
第二は、「銀行は収益を挙げるのだから、貸し渋りはなくなるはずである」という部分です。
銀行は、東京都によって特別な課税をされるほど、バブル崩壊後も空前の業務純益を上げています。もちろん、貸し出しの増大(つまり販売量の増大)によるのでなく、前代未聞の低金利政策(つまり利益率の増大)によってです。それにもかかわらず、貸し渋りは一向になくなりません。それどころか、この株価暴落時ですから、貸し渋りはいっそう強まるでしょう。
銀行が積極的な貸し出しをするためには、自己資本比率の「分母」を構成する不良債権と暴落した株式とが重石になっているのです。
第三に、「返されていない借金が、沢山先延ばしになっているので、銀行は懐が寒く、貸し渋りをする」という部分です。
この部分をその前の部分と関連付けて理解すると、「貸した金が戻ってこないので、銀行に金がないから貸し渋りする」というように理解することができます。「金を貸したくても貸す金が銀行にない」なんて事実があるのでしょうか? 現在の株式暴落によって銀行への資本再注入の必要性が議論されていますが、資本注入の意義をどう理解されているのでしょうか?
第四に、「もし、欲しいものがないだけで不況が始まり、今の不況においての主たる要因であるのならば、賃金は貯蓄に回る」という部分です。
この部分は、「『欲しいものがないから買わない』のがデフレの原因だとすると、労働者の貯蓄が増えているはずだ」という理解を前提に、「『貯蓄』が増えていないから、『欲しいものがないから買わない』のがデフレの原因だとはいえない」と主張しているのでしょう。
「物が足りているから消費不況というのは、現状とは全く異なります。」とするあなたの強い断定が、事実認識からよりもむしろ推論から生じているものと理解できます。推論からこのように断定するのは、なかなか勇気のいることです。
さて、その推論ですが、第一に、この推論の前提となっている「労働者の貯蓄が増えていない」という事実認識が問題です。総務庁の調査によると、バブル崩壊後も、多少の出入りはあっても、貯蓄額はほぼ年々増加しています。ですから、推論の前提となる事実が誤っています。
第二に、仮に貯蓄が増えていないとしても、住宅ローン等の債務返済に金が回っていることも考えられますから、あなたの推論には問題があると思います。
> こういった、複合的な不安が重なり、消費の低下が起こっているのであり、欲しいものがない、という単純な理由は、高額所得者の考え、あるいは、世代間の将来に対する不安感の差であるというのが印象である。
「欲しいものがない」ではなく、「必要なものはある」と私は言いました。両者は意味が異なる可能性もあるので、「必要なものはある」として話を進めます。
「世代間の将来に対する不安感の差」の意味はよく分かりませんが、少なくとも私は高額所得者ではありません。しかし、「必要なものはある」のです。衣食住のうち、住は、これは消費税レベルの問題ではないので論外として、「衣」は、収納しきれないほどありますし、「食」も、食べきれないで捨てることが珍しくありません。人によっては、栄養が行き渡りすぎて、ダイエットなぞしなきゃいけないような状態です。あと、冷蔵庫も、洗濯機も、テレビも、掃除機もありますし、一体、何が生活のために今以上に必要なんですか?こういった状況は、高額所得者の特殊状況ではないと思いますよ。
私が欲しいのは、江戸時代のようにきれいな水や、あの忌まわしい自動車が走りまわらない静かな環境です。そのための政策を共産党が展開するなら、おおいに共感します。
> 購入に意欲がないのではなく、購入する裏付けがないので、必要な物しか買えないのである。買いたいものと買える物のギャップは大きく、必然性(絶対的なものではなく、社会的に求められるものも含めて:携帯電話など)のあるものしか買えないと言うのが現状である。
「必要な物しか買えないのである」
しかし、必要なものが買えるなら、それで十分だと思います。
「買いたい」という欲望をあの手この手で掻き立てる資本主義社会が、私は嫌いです。
「必要なもの」でない物があまりに多すぎると思います。
自動車なんか、なんでこんなに多いのか。自動車を大量に減らすべきだと思います。しかし、そうすると、トヨタで名を馳せている日本の「景気」はすごく悪くなります。でも、いいじゃないですか。「景気」をよくするために生きているのではないのだから。「景気」が悪くても成り立つ社会制度を作ればいいのだから。我々は、GNPを高めるために生きているのではない。生きていくのに必要な量があるなら、それ以上生産を拡大する必要はないではないか、と、私は思うのです。生きていくのに必要なある程度のレベル(現在の標準的レベルで十分だと私は思います)があるなら、生産力の拡大などすべきではないと思います。地球共存生物のことを考えねばなりません。人間は、すでにあまりに多くの共存生物を虐殺してきました。
なんで、毎日あんな量の広告が新聞に入り、テレビは大量のコマーシャルを垂れ流すのか。そんなにして、消費欲望を掻き立てて成り立っている社会がいいのか? 欲望に任せて生産力を拡大して、人間はどれほどの地球共存生物を滅ぼし害してきたのか? 広告が飛び交って、広告に刺激された人間の欲望が掻き立てる「景気」を回復しようとするのはおかしくないのか?
社会主義社会の建設を目指す共産党が、煽られた資本主義的消費を消費税減税で回復しようと言っているように思われ、賛成できないのです。
> リストラを優先課題としている、企業側の都合により、海外進出が出来ていないということです。過剰生産は、海外でのシェア拡大で解消できると考えるし、まだ、その意味で世界中の需要が飽和点に達しているとは考えていない。
これは、かなり問題だと思いますよ。
今でさえ、貿易摩擦が起きているのですから。
最後に、繰り返しになりますが、私の関心事について再言します。
バブル現象からバブル崩壊後のデフレ、そして最近のIT不況に至るまで、資本主義経済であるからこそ生じる現象だと思います。そのような現象を目の前にして、資本主義経済の構造的欠陥を修正しよういう宣伝はするけれど、資本主義経済の対案としての社会主義経済の宣伝をしようとしない、あるいは、少なくともソ連・東欧が元気だった時のようには宣伝していない共産党の姿に、私は疑問を持っているのです。