松本重治の「上海時代」中公文庫を読んでいて、日本国がなめられているという発想が、戦前日本が中国を侵略しながら、排日がけしからんといっていたのをむし返しているなと感じました。
鴨川ブックレットの加藤周一高校生と語る でも、高校生の一人が、戦前の日本が悪いと中国が攻撃するのがいややといっています。毎年終戦直前に獄死した戸坂潤のお墓参りをしているのですが、そこでも若者が中国などが教科書について言うのは内政干渉だと、雄弁に語っておりました。
私は侵略の事実を直視すべきだと思います。排日とか、日本をなめてるとか、内政干渉とかはいいがかり(ディベイト)にすぎません。当時なら侵略をやめる、今ならまだ一度も謝罪していないのですから、曖昧な言葉を言い続けるのではなく、きちんと謝罪して過去を克服することが必要です。
侵略の事実が先で、それを繰り返さないということでないと、諸国民の信義に信頼して我らの生存を保持する事はできません。
国際労働者階級の立場からすれば、あらゆる帝国主義に反対すべきではないでしょうか。ロシヤ革命はドイツの皇帝にもブリテンの皇帝にも反対していたはず。もちろんそのあとのソヴェトは興味深い研究対象です。たとえば、マヤコフスキイは殺されたのか、あるいはそう信じられたのか。
あともう一つは、日本文化に自信を持つこと。加藤周一の「日本文学史序説」は熟読すべきでしょう。日本文化はすばらしいものであって、戦前の誤りを合理化しなければならないほど、貧しいものではないというのも加藤さんからの受け売りですが、日本美術の現物(たとえば、浮世絵、枕絵)に浸ると、その真実が納得できます。我が国文化に自信がないから、なめられてるという被害妄想になるのです。