党員議員による「学生の任務」を読み驚いた。要するに、学生は学園の学習に力を入れれば一般党員と異なり、遊離する。もっと党活動に専念すべしというご意見である。
戦前に岩田義道氏は、古在さんが「哲学研究を放棄して党の活動に専念すべきか?」と苦悩していた頃に端的に助言した。「あなたは哲学研究を大切にすべきです。」と述べたのだ。
このような学問を侮蔑した現状と、岩田氏との相違はどこにあるか? 私は青年・学生運動の沈滞の原因は、魅力的な大衆運動にいきいきと参加するような運動が構築されているかにあると思う。一橋大学の渡辺治氏ほど今日的な理論家は少ない。油井喜夫氏の『虚構』を読んだ。この中で活動家として東大学生の渡辺氏が生き生きとした意見表明をおこなっていたことを示す箇所がある。あれだけの理論家は、引き回しのカンパニア運動や拡大運動だけからは生まれない。新日和見主義批判が激烈を極めた頃に、自主的実践的学問的運動を行なっていたのだろう。学生党員が学問をいい加減にして、あの日本共産党の理論的創造と理論闘争が学者レベルで行なわれる時に優れて社会科学的実践的理論家は、どこから輩出してくるというのか? 理論的創造性を大切にしているのか?