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不破哲三「これに『歴史教科書問題』の核心がある」から学ぶもの、乗り越えるべきもの――2つの「自虐史観」と3つの課題

2001/9/10 RESTRUCTURed?、40代、中間管理職

 このサイトを3回以上自発的にのぞいたり、投稿したりする日本人の多くは、扶桑社の歴史教科書や、「自虐史観」論には批判的な人が多いと想像する。しかし、自分の祖父、曾祖父の代に当たる親戚が、20世紀前半に日本軍国主義の侵略に際して、どのような行動をとったか、それについてどう考えるか、をどの程度ご存じであろうか。もう一つの「自虐史観」、戦前戦中は弾圧が厳しくてとても反戦運動どころでなかった、についてどうお考えであろうか?
 私の遠縁には、語られ方が対照的に異なる2人の人物がいた。1人は、「ある身体障害のため兵役を免れそれが口惜しくて、必死に勉強して教員となり、戦前・戦中は自分が戦えない分(時に「時代だから仕方なくて」とも)生徒にお国のために血を流せと一生懸命教えた。ところが、敗戦後GHQにより戦犯とされて学校を追放され、アカに石をぶつけられたが、蒋介石とアメリカの勇気と寛容のお陰でまた教壇に立つことができ多くの生徒に慕われた」と親戚で誇らしく語られる、「悲劇の英雄」であった。
 もう1人は、「戦前大変勉強ができたので、遠くの大学に入れた。しかし、つきあった友人がアカで、戦争反対などの運動にかかわった(時に「アカに染まった」「ロシアのスターリンに騙された」)ので投獄された、出獄すると先輩が転向したらしいと知り自殺??」と親戚で嘲りをもってヒソヒソと語られ る、「秀才のバカチン」であった。いずれもどこまで事実かは実は、語る親戚たちもよくは知らないようであるが・・・

 昨今の歴史教科書問題を広く国民に理解してもらうためには、a.「扶桑社教科書がいかに間違っているか」という事実に基づく議論とともに、b.日本人一人一人の胸に触れるような(ミクロな)反戦運動の歴史を見直し語ることが重要なのではないか。

 こう考えるきっかけは、上記の個人的体験とともに、多くの自治体内で取り組まれた「扶桑会教科書採択」の反対運動、および区市町村レベルではゼロという一定の成果である。そして、このたび「しんぶん赤旗」連載をまとめた不破哲三氏の「ここに『歴史教科書問題』の核心がある」(新日本出版社,2001.9)を読んだ。この本は、上記a.の点では、歴史にうとい私にとってわかりやすい文体でしかもそれこそ高校までの教科書では触れない資料も豊富で、大変学ぶものがあり、率直に敬意を表したい。

 同時に、この本の限界を乗り越える今後の日本人の課題として、この本で触れられていない次の3点の取り組みを述べたい。
 (1)前述のような日本人による反戦運動を見直すこと-革新勢力が「戦前戦中は弾圧が厳しくてどうにもならなかった。野坂参三は中国で、宮本顕治・徳田球一・袴田里見は獄中で闘ったけど・・」という「自虐史観的発想」から脱して欲しいこと-、これは戦後の日本人の勇気のもとだったのかもしれない。そして、今の日本人を励ますもの、自分の人生に引き寄せて立ち止まって考える機会となる可能性が高い。

 (2)15年戦争の時期におけるソ連の役割の見直しである。例えば、ソ連崩壊の翌年の1992年7月に刊行された「社会科学総合辞典」(新日本出版社)では、独ソ不可侵条約(p466)では、「ドイツが破棄してソ連へ侵攻」した旨があるが、日ソ中立条約(p494)では「日本が戦時中事実上破ってきたが、ソ連がヤルタ協定に基づいて日本に宣戦したので失効した」旨ある。これは、公正な扱いであろうか? さらに、冷戦(p681)のでは、米ソ両陣営の軍事的政治的対決と書かれているが、発刊直後の総選挙(結果的に、自民党が下野した)では共産党は「冷戦は終わっていない論」をなぜか主張し、この事項の記載も取り消すのに大変だったと、しんぶん赤旗紙上を見る限り感じた。その選挙では共産党が自民党とともに惨敗したことも記憶に新しい(因果的関係は不明だがうすうす感じた)。(1)との関連では、もし戦前戦中の反戦運動がソ連の影響下のものであったり、日本人にそう思われても仕方がない事実があれば、日ソ中立条約の問題は十分究明を要する。この夏NHKが2週連続「その時歴史が動いた」で取り上げたポツダム宣言成立の裏面史は、示唆的であった。

 (3)上記(1),(2)を総合する中で、何故戦争とその惨禍をくい止められなかったか、今後個々の日本人は歴史に何を学ぶか(そして新世紀には、戦争を望まない日本人はどう行動することが求められているか)を、勇気をもって明らかにしてゆくことであろう。木佐芳男氏の「<戦争責任>とは何か-清算されなかったドイツの過去」(中公新書1597, 2001年)は、あのドイツにしてこの位苦労しているのだ、という点で参考になる(ただし、従軍慰安婦に関する記載などはにわかに賛成しがたいが)。また、丸山真男氏の業績も冷戦終結ソ連崩壊後10年という現代でも、再評価(私は主にプラス)すべき点が多いと考える。

 皆様、ご自分の祖父、曾祖父の代の身内が戦争に荷担していた、慰安婦と戯れたかもしれない、と万一知ったとき、眼を閉じますか? また、ミニサボタージュ(中間管理職としては今も頭を悩ませますが)、や厭戦歌(例:かわいいスウちゃん、ラバウル小唄、戦友??)づくり含め、戦争の進行を少しでも食い止めようと努力した身内がいたこと、そしてそれが公式の歴史ではどの側からも十分評価されていないことを知ったとき、どう励まされますか?