前回の投稿意見は、現在の状況を見ると、極めて不可能な意見と思い再度投稿します。
借金を、何百兆も抱えた国及び地方。その債権を誰が持っているのか、私は解りません。もしも国民が持って居るとするならば、かなり多くの国民が国の債権を持っている事になります。
経済不況と言う中、大部分の国民が財産を溜め込んで居るようでも有ります。そんな中、失業に追い込まれた人は財産を取り崩し、借金地獄に陥って居る人は、多いながらも率にすれば僅か!
不況の中、借金を大量に抱えているのが国と企業とするなら、借金、債権のご破算と発言すれば反発は強烈だと思います。
私は、経済をどうに立て直すのか解りません。借金を後世に残さなければ、現在の人間が、地獄のような苦しみを受けても良いとでも言うのか。最初の頃の老齢者は、年金の保険料を支払わずに受給を受けていました。現在の多数の老齢者は、保険料を支払っている筈です。保険料を払っていても、会社の都合等、諸事情により、払い込み規定に達せず受給を受けられない人も居ます。不足分を支払えば受給を受けられますが、収入のない物には不可能です。そして生きていなければ、受給は受けられません。年金の受給年齢を遅らす事は、受給を受けられない人が増加します。公平負担と言われる介護保険制度。しかしこれは、一部の人のみ恩恵を受け、多数の人が保険料を支払うだけと言う、不公平な予感さえします。
現在の高齢者は、戦中前後の貧しい時代を生き抜いた人達です。その人達が、後世の人達の為に犠牲にして良い物なのか良く考えるべきです。
年金、介護保険とは、本当に福祉目的なのだろうか? 福祉は国が積極的に、国民に無償で、最低の文化的生活の支援する事だと私は思います。
保険は、予期せぬ不幸時に相互扶助する為の物。高齢になれば、働けなくなり収入は無くなり生活が出来なくなります。生きていれば誰もが想定出来る事です。早死にの方が予期せぬ不幸な事です。しかし、生きている間は受給を受けられますが、予期せぬ不幸に冷たいのが年金です。死んでお金を貰っても仕方は有りません。しかし、年金は自分で支払って自分で受け取る物。福祉では有りません。また、保険の要素からも外れると思います。介護保険制度も、福祉政策では無いと思います。
高齢者に対して福祉政策を国はやって居ない事を指摘します。現在では高齢者でも、高額の財産を持った人が沢山居ます。そう言う人達には福祉は必要無いと思います。
現在は、狭い日本で、隔家族が多く、住宅難も深刻になりつつあります。大家族化の奨励も必要な時期にも来ていると思います。そして、高齢者の扶養を義務づけ、扶養を出来ない家庭に、高齢者福祉税の負担を求め、家族の扶養を受けられない人や身よりの無い高齢者のみを、国が家族に変わって無償で扶養する事。それは、高齢者福祉になると思います。それは家族の義務でも有ると思います。
医療、医師は、国が国の費用で育て運営すれば、健康保険制度も必要ない筈です。憲法は、国民の健康をも保証しています。医療行政はやはり民間任せでなく、国が責任持つことが必要だと思います。
以前の国の事業は、親方日の丸の考えで印象は良くありません出した。それを今に残すのが警察官です。国の仕事に携わる人が、国民の為を考えたサービス、行動を行なえば、国の事業は国民から支持されるのです。
因みに民間に移管したJR、民間でも鉄道と言った独占的な企業などは、客に対し親方日の丸の扱いを感じる事が有ります。また民間企業は、利益優先。国鉄から民間に移管したJRは地方の足を奪い、残った地方路線は割高運賃で不便なダイヤ。また、普通列車を不便なダイヤにし、急行廃止して、急行並の列車を特急列車にして特別料金を取るJR。隠れた値上げがされています。これは、貧乏人は旅行さえ出来なくなります。また、郵政の民営化では、儲からない地域の郵便配達は、特別料金を取るか配達が遅れるか、最寄りの郵便局まで取りに行く事になるかも知れません。
終わりに、裕福な暮らしをつかみ取るのは大変です。しかし、自由競争の世の中では、裕福な暮らしから、どん底に落とされるのは簡単なのです。私は、どん底でも、最低限度の文化的な生活ができれば良いと思っています。