2001年10月23日付、赤饅頭さんの、『「唯物論ははたして正しいか」の【ミドリ】さんへ』に対してです。
人間を含め、生命の根源的存在目的は、まことに曖昧模糊としています。
違います。存在すること、それ自体が生命の目的です。
ただ存在する。生きている。それだけが生命の目的です。
創造神はいろいろなものを作りました。しかし、作ったあとは自由放任しました。親が子どもの将来をコントロールできないのと同じです。
創造神は見守る存在です。親が子どもの成長を見守るのと同じです。
親が子どものやることに、いちいち手出しして、その行動をコントロールできないのと同じように、創造神も創造物の行動に手出ししません。創造神は創造物の行く末を、ただ見守っているだけです。
残酷、悲惨、不公平は創造神が作ったものではありません。残酷、悲惨、不公平は創造物が創造物の責任においてなす行為です。子どものすべての行動に親が責任を持てないのと同じです。
創造神は、創造物の世界から、残酷、悲惨、不公平がなくなることを待っています。創造神がただひとつ、創造物(人間)に組み込んだのは良心です。良心に従いなさいと創造神は見守っています。
生命の目的は存在すること、それ自体です。この目的は曖昧模糊ではありません。きわめて明確です。