1ドルが360円の時代、日本経済、対アメリカ経済は、現在の日本経済、対中国、韓国経済と言う感じだと思います。昭和39年、東京オリンピックの年、16型の白黒テレビを初めて購入しました。価格は6~7万円、1ヶ月の給料の5~6倍以上。現在に例えれば自動車を買うような事、勿論現金では買えず、月賦です。その月賦も、低賃金の借家住まいでの子育ては、大変苦労したようです。それ以来、月賦を嫌い、貯蓄をして、現金買い。因みに、車は、一件の家を買うような物だったのか? マイホームは当然考えられません。
有るテレビ番組の賞品である電化製品一揃えは、夢でした。その頃は、アメリカは、金持ちで、そこで働ければ、良い生活出来ると言う話をよく耳にしました。古いメロドラマでは、汽車での別れ、それが飛行機を見送る別れに変化しました。東南アジアの人達の現在の日本に対する想いと、同じだと思います。しかし、日本で数ヶ月稼げば、東南アジアでは、一生食べられるとさえ言われます。それは、国の違いによる労働者の賃金格差の問題、それに加え、国毎の貨幣価値の格差も有ります。正常な、経済交流は出来る筈も有りません。
日本は、1ドル360円から変動相場性にしてから、円は上昇し続けました。しかし当初、国内では高い物を売り、同じ物でもアメリカには、安く輸出をしていました。やがて、円高で、外国製品が安く買えるようになりましたが、外国への閉鎖的な日本市場は、円高の恩恵は受けませんでした。恩恵の有ったのは、貿易関連企業でしょう。岩戸景気、バブル景気と言われた時代、国民はそれに見合った裕福感を持たない人は多いと思います。
私は高校卒業後、就職、マイホーム取得に専念しました。借金は怖いので、現金でと思い必死に貯蓄しました。景気は、給与所得は上がる物の物価はそれ以上。マイホームの夢は遠のく一方。借金の危険を掛けて、25歳でマイホームを購入。借金は33歳で全ての返済完了しました。多機種に及ぶ精密部品の外注請負会社、職場の数も多く、生産変動で、年間6回、通算30回以上の職場移動。最終的には、片道1km以内の通勤距離から、片道35km以上への職場移動は、会社を辞める決意をしました。退職理由を「会社の求めには応じられません」しかし、その理由は認められず、「自己都合」とされ、退職金は50%カット、更には失業保険制限で失業給付を3ヶ月間受けられませんでした。社会は、中途退職者には厳しい見方をします。また、大きな仕事の流れの一部の仕事しか与えられなかった事は、再出発には恐怖感ばかりです。
現在は、大多数の日本人が、以前夢に見た生活以上の文化製品を揃えています。これは、経済政策の失敗がもたらした富と、私は考えます。質の良い物を安くしアメリカ市場を独占したこと。これは、経済戦争、第3次世界大戦の攻撃開始。東南アジアへの市場開発は、経済的植民地造り。これをアメリカが、円高対抗。更には、原爆にも当たるスーパー301条での威嚇。それが、日本自身の企業が日本市場に目を向けさせた結果です。現在、経済戦争は、東南アジアから日本に向けられています。しかし、これも日本がまいた種です。
狭い日本も、古くは、細かい国に分かれていました。それが現在は一つの国になっています。世界には100カ国以上の国が存在しています。しかしこれも、国境を無くし、世界が一つの国として、自由に行き来出来れば良いと思っています。国によって考えは違うでしょう。しかし所詮は、千差万別の考えを持つ人間。一人一人考えは違います。個人的な喧嘩も有ります。大きな喧嘩が戦争です。 人間同士の殺し合い、傷つけ合いを、御法度とし、自由、平等、人権、生存権、生活権を世界法として保証する事です。また、世界が一つなら、世界規模で、人口調整、災害対応も出来、戦争が無ければ余分な損害もでないのです。夢のような話ですがそうありたい物です。
枠、壁を作るのは、支配を考えるから。支配欲は、摩擦の元です。支配で無く、結集の要として繋がりの和を広げられる枠で有れば良いのです。 地球自体、自然環境が住む所によって違いますが、生活環境は何処でも同じで合って欲しい物です。