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デフレについて

2001/10/16 渋茶、40代、労働者

 現在の構造不況に関して考えたのですが、直接的には、バフル崩壊による不況ですが、もっと構造的な欠陥があるのではないかと思い考えてみました。
 バブル崩壊によって、土地・企業などの価値が一気に下落しました。バブルの土地・企業などの価値を支えていた原資はどこにあったのでしょうか。それは、銀行・郵便貯金・保険会社など金融機関の機関投資家が支えていたのです。
 従って、土地・企業などの価値が一気に下落したということは、銀行・郵便貯金・保険会社など預貯金・保険残高(原資)の価値を減らすことによってしか釣り合わない状態に陥れます。しかし、預貯金・保険残高(原資の価値を減らす)ことはできませんので、銀行・保険会社などの赤字・倒産などに至ったと考えられます。
 これら金融機関は、キャッシュフローとしての資金があまっている限り、損を覚悟で不採算部門に投資するわけにはいきませんので、資金を市場に回らない資金として棚上げ(デフレ圧力)する方法しか取れません。
 現在、金融機関は、棚上げ先として、国債・地方債などの購入(金融機関に変わって、公共機関が消費優先の投資を行なう)する方法をとって、棚上げ圧力を緩和している。しかも、このような状態だと、資金回転力まで鈍らせてデフレに拍車をかける。
 現代のように、競争が激しい社会では、社会の中で資金を蓄積できる部分と減少させる部分が出てきます。この資金を蓄積できる部分がすべて再投資や消費に向かうことで経済的なバランスが保たれています。
 ところが、経済成長率の低いレベルでは、この再投資の部分で蓄積資金を拡大できる投資先比率が減少します。すると、その資金は、少なくとも0レベルを維持できる金融機関に向かいます。しかし、金融機関とて、優良投資先を食い尽くして残った資金は、棚上げするしかなくなります。
 つまり、競争社会の中では、資金蓄積した部分の再投資は、総体として非効率な再投資に移っていき、ついには資金減少を伴うような再投資先しかなくなります。その資金がリスクを覚悟で、すべて再投資されれば良いのですが(再投資が失敗しても、それは余剰部分についてである)、リスクを避けて資金を棚上げするようになると、デフレ圧力がかかります。
 デフレ経済のもとでは、資金を動かさなければ価値は下がりませんので、失敗する確率の高い投資は避けるようになります。このデフレ圧力をかわす為に、国債で無理やり資金棚上げ分を市場に還流させようとしているのが、現在の状態ではないでしょうか。
 これを解決するには、資金維持にコストがかかる状態。つまり、インフレ状態を作りだして、眠っている資金はどんどん価値が下がる状態を作り出すしかないでしょう(庶民の預金価値・保険価値も下がる)。
 それによって、そのレベルよりましな状態になるならば、つまり、資金を眠らせるよりましま状態ならば、多少投資効率が悪くなっても、再投資に向かう資金が増えてくるようになるでしょう。
 現在のデフレ問題は、より直接的には競争が激しくなった結果、貧富の差が広がったことよりも、その資金過剰部分が、消費に向かうかリスク覚悟で再投資資金に向かわないことに問題がある。資金が金融機関に集積する状態になると、金融機関は、消費という手段はとれず、再投資という手段しか残されていない。
 昔は、企業倒産・縮小などによって発生する損金のほとんどは、個人責任の範囲内で納まっていた(企業経営が失敗しても担保確保などで補えた)が、その規模が大きくなるにつれ(特にバブル崩壊で)、それがどんどん金融機関の損金になるようになり、その結果、金融機関は容易に資金を市場に還流できなくなった。
 現在、金融機関に求められているのは、昔のように担保確保による自己利益の確保能力ではなく、個々の企業に対する経営能力のランク分け判断能力が問われている。それで少しでも、経済全体の効率を上げられれば、自己収益も改善する拡大によるということだろうが、それは経済効率が少しでも悪くなったら(将来的な成長性)、傷の浅いうちに撤退すると言うことも含んでいる。
 また、それによって、余剰資金の流動性が減少することも考えられる。この余剰資金の流動性を上げる為には、それを金融機関に任せない方がよいということで、直接投資の活性化も叫ばれているが、それは、金融機関よりも個人の方がリスクを背負いやすいということだろう(金融機関がリスクを負って、例えば、倒産に追い込まれると、社会的な影響が大きすぎる)。
 また、その為に、投資効率やリスクを少なくする方法がいろいろ考えられているが、それも一時的には、効果が上がると思うが、よりおおくの富の偏在をもたらすようだと、将来的には、流動性を阻害するように働くような気がする。
 つまり、より根源的には、日本のような個人投資が少なく、しかも今を楽しむということの少ない社会では、富の偏在が資金流動性を阻害する原因になっている気がしてしょうがない。そうではないと証明するためにも、資金をたくさん持っている人・団体には、預金等を増やすのではなく、実資産(株・土地・物など)の購入をさかんにしてもらいたいと考える。
 経済対策としても、雇用対策としても、この資金を流動させることで資金減少を生んでも(消費と言う形でも良い。損と言っても、余剰資金で高い買い物をするだけで、富はその余剰資金をもっているところに集積されていく)その資金を市場に引き出すにはどうしたらよいかが重要。
 雇用対策として、新しい消費を作り出しても、それが従来の消費を減少させる中で行なわれたのでは何の効果も期待できない。つまり、雇用対策とは、全くの消費になってよい(=見返りの利益を期待しない)余剰資金を誰が持っているのか?それを市場に引き出すにはどうしたらよいのかということがポイントになるのではないか。
 雇用対策として、この点を説明しないと、その雇用対策が別な分野での新たな失業者を生んでしまうことになる。福祉対策事業で新たな雇用を作っても、それが庶民の切り詰めた資金からの消費=別な部分の消費を削っての消費ではなんの意味もなく、将来資金・企業の余剰資金など蓄積された資金を削っての消費を生むことによって始めて本当の意味での雇用拡大になるのではないでしょうか。