私は今から30年前民青に在籍した事がある、現在53歳の主婦です。加盟の動機は民青とはどんな組織なのか知りたかったからでした。加盟後すぐに新同盟員教室などで「ものの見方、考え方」を学習し始めたのですが、唯物論を社会科学の哲学としている部分でまず疑問を感じました。神は実体でないとする唯物論に、単純に、なぜそう言いきれるのか、人間の五感で捉えられないだけかもしれないじゃないかと思いました。それ以来宗教書、科学書などで神に関することを模索し学習してき、神は人間が想像し作り上げたものではなく、実体である事を確信しました。となると「唯物論」は間違っているということになりますが、神は五感で捉えられませんから、実体であることを証明するのも難しいのです。ただ簡単な方法としては、周囲をよく観察する事で神の現れを感じる事ができます。たとえば地球が規則正しく軌道を外れることなく、数秒の狂いもなく自転、公転している事、また自然界が偶然できたとは思えない合理性完璧性をもって営まれている事などです。神はすべてを統率している意識エネルギーで、私達のごく身近にあっても見えませんので、感受性を豊かにして感じ取っていく以外ないのです。
近年遺伝子の研究が進み、地球上のすべての生物は独自の遺伝子の設計図によって作られている事が分かってきたといいますが、そうであるならば民青で学習した「猿が人間になるについての労働の役割」の内容は一体なんだったのかということになります。人間は初めから人間だったのではないでしょうか。「生命の暗号」の著者、筑波大学教授の村上和雄氏は、神と言わず「サムシング・グレート」 偉大な何者か という表現をしていますが、生命の神秘、絶妙、完璧さに触れるなかで神の実体を感じられたのかもしれません。
神が実体であるとするならば唯物論は間違っている事になり、それを理論的基礎にしている「社会科学」もはたして真理かどうかあやしいものになってくると思うのですが。科学が発達し以前正しいとされてきた学説が間違っていると証明されつつあるものには、他にもアインシュタインの相対性理論、ダーウィンの進化論、宇宙成立のビッグバンという考え方などがあるといいます。唯物論も量子力学の研究が進むにつれ、素粒子が物質であると同時に波動でもあることが確認され、目に見える物質界以外の次元界を認めざるをえない現象も確認されつつあるとききます。
私が民青にいた時より30年たちましたが、当時熱心に活動していた共産党員の中には、市町村会議員になり信念を貫き通している人もいます。確かに共産党政策はまっとうと思いその点は支持するのですが、社会主義とか唯物論という考え方には、これまで書いてきたような理由から納得できません。共産党も党名を変えたり、共産主義を捨てればもっと大きくなれるといった意見もありますが、確かに党員や、民青同盟員の地道な活動のわりには、それが選挙の結果になって現れてきていないなーと感じることはあります。それに今の青年など豊かな時代に生まれ育っているのに、その中から社会の矛盾に目覚め、民青同盟員から党員になっていく青年など、はたしてどれほどいるのかとも思います。まああまりいなければ共産党の勢力も頭打ちと言う事になるでしょうか。
唯物論がはたして正しいのかという疑問をもちましたので投稿してみました。