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「唯物論ははたして正しいか」の【ミドリ】さんへ

2001/10/23 赤饅頭、50代、自営業

 ミドリさん今晩は。私も数十年間、同様のことで右顧左眄してきましたので、ご参考までに私の「グレート・サムシング(以下 G.S. と略)」観を記してみます。

 G.S. がキリスト教などの創造神とすると、その神が最初の創造を行う前は何をしていたのか。職業は何だったのか(笑い、これは私の創案でなく B.ラッセルの著書に彼の父の話として紹介されています)。

 G.S. が地球外の先進的知的生命体あるいは他宇宙の同様生命体だとすると、その生命体はどうやって出現したのか。やはり、上記創造神によるものか、あるいは、中立浮動説的変化をも含めた広義の進化によって形成されたものか。でも、この後者の場合、人類が時間をかけて進化論的に形成されたとするものと大差なくなります。また、前後者とも創造ないし形成因を1段あるいはもっと先に延長しただけの話です。

 以上に記したとおり、G.S. という考えは、いずれにしても、とくに説得力のあるものではないと思います。

 ただ、仰せのとおり、自然法則、生命体の諸機能等々、それらは確かに驚くべき精妙さにあふれています。が第一、人間を含め、生命の根源的存在目的は、まことに曖昧模糊としています。また、地球上には、残酷、悲惨、不公平(人間と動物の間も含め)が満ちています。マルクスらが唯物論を採ったのも、あの時代の労働者の惨状を見てのことです。
 弱肉強食の動物界、人間界など、まるでバイオレンスゲームのようです。アスキー社の誰かが、「神は偉大なゲーマーである」と書いていましたが、正確には、「神は壮大かつ残酷な3Dゲームプログラマー」と言うべきです。

 さて、それでもなお否定はし得ない自然法則等の精妙さの方ですが、もし、宇宙がこの宇宙だけでなく、たくさんあるとしたらどうでしょうか。正確に言うと、たくさん出来得るとしたら。同時または時間を置いて。
 たくさん出来た(あるいは出来つつある)その中で、存続しうる諸パラメータを備えた宇宙だけが永く残った。で、そのなかで我々の宇宙は、さらにうまい具合に生命を造リ得る諸パラメータを【偶然にも】備えていた。ヘーゲルの「合理的なものは現象する」に近い結果論的逆転理論の感は否めませんが。これも、私の創案でなく、ご存知、「人間原理」と謂われている宇宙観です。我々の宇宙は、たくさん出来ちゃう宇宙の中の一というところがミソなのです。

 また、私が創造神なら(笑い)、宇宙をこんなに無駄に馬鹿でかいものには造らなかったでしょう。そして、ゲーム的には面白くないが、あらゆる命に快適な、もっとやさしい愛あふるる世界を造ったでしょう。余談ですが、全動物に肉食を禁じます。というよりか肉を食べないで済むようにします(笑い)。いや、ときどき、足を土に突っ込んでは手の平を太陽にかざすだけで栄養摂取はOKなんていうのは、食べるためにする苦労がなくていいですよね(笑い)。

 もしかまた、私が地球外先進的知的生命体であったとして、DNA を地球のような好適環境に送り込んで新生命を造り上げるときには、汚れやすい泌尿器や排泄器と、崇高な目的のためにある生殖器とは、はっきり別の個所に分けるような DNA プログラミングをしたでしょう。

 「まことにシャーリプトラよ、この世の素晴らしい面をみれば、造られたようでもあり、この世の凄まじい面をみれば、ただ、あるがままにあるようでもある。私には真実判からないのである」と、尊敬するゴータマ(釈迦)が曰まわれたかどうか。底意、似たことは仰せられたようですが、2500年以上経過した現在も事情は同じ、残念ながらこの問題を明快に裁断した人は未だいませんよね。

 私は、単純に唯物論を主張する人も、疑いなく神を信じる人も、どちらもその所説は信用しておりません。これは、同じ思いと存じます。

 ただ、唯物論があまりに皮相的に理解されてはびこると、その社会は崩壊してしまうのではないでしょうか。マルクスレーニン主義に基づく行動規範には、自己犠牲や道徳は、かつて否定されていたでしょう。確か、社会の必然的発展方向に合わせるのが合理的生き方などと大声で喧伝されていたと思います。どこか無理があります。やはり、まだまだ人間には人間を超えた存在を上に据えた方が社会が安定に動くような気がします。悪行やエゴが、やがて自分に返ることを多くの人が理解して慎むような理性的社会は、もう少し先のような気がします(とくに日本人社会では)。かつての日本人には、絶対神への信仰の替りに、仏罰や地獄へ堕ちる恐怖という脅しがありました(新渡戸稲造の武士道説は疑問)。それが無くなった分、社会が変わってきています。青少年の生き方も、20年ほど前とは大違いです。直接、唯物論のせいでは無いでしょうが、唯物論の普及には十分な注意が必要であると思います。

 以上の観点から、単純に「宗教は阿片である」とした祖師マルクス(笑い)には倣わない、日本共産党の対宗教者政策は立派と思います。今後も、党幹部の皆様には、法華経、般若心経、法句経、聖書やコーラン、老荘、論語、法家など、幅広く読んで取捨選考してもらいたいと思います。全くの余談ですが、政治巧者である米国、中国に対する政策に関しては孫子もよく読んで欲しいものです(笑い)。