一般投稿欄ですからいろんな意見が掲載されるのでしょうが・・・・・、アメリカと共同歩調をとらなければ、国内に餓死者が出ると言った途方もない「主張」をこのML上でお目にかからなければならないこと、そして、それについて反論したり意見を言わねばならないことを、このMLを大切に思う方々は屈辱と感じなければおかしいと思うのですが。
傍観者さんが攻撃しているのは、単に共産党とか、単に左翼といったことではなく、反戦・平和の理想、ひいては、基本的人権を尊重しようとする国際連帯・国際人道主義の全体に対する攻撃であって、実のところもっとも利己主義的(一国主義的)な見解です。
確かに、経済の失政は日本国内に居住する大半の人々に、経済的社会的苦痛、あるいは、心身の苦痛を強いていることは確かです。しかし、それは自民党を中心とした翼賛政治の状況に、そして、苦痛を勤労者にばかりに求める財界と官僚の方針にあります。
私たちの生活が苦しく不安定であること、ホームレスなどの生活破たん者や自殺者が急増している状況は、彼らの失政の(意図的な政策の)責任だということを強調しておきましょう。
同時に、戦争があろうがあるまいが、アメリカと共同歩調をとろうがとるまいが、多国籍企業はどんどん日本から他国へ生産拠点を移していますし、基幹投資家は日本の金融市場を金儲けの場としか見ていません。新しい産業を育てようなどという高邁な見地は、ほとんど見当たりません。
福祉政策はどんどん削られているわけで、戦争以前に社会不安は高まっているし、餓死者や自殺者は後を絶ちません。
上記の事柄に責任のある面々が音頭をとっている「アメリカへの協力」「国際貢献」を疑ってかかるのは、あまりにも当然です。傍観者さんも、疑っていることは文面から分かります。しかし、傍観者さんは、なんというか、肯定する理由を無理やり見つけ出そうとしているようです。
「きけ、わだつみの声」の中で、学徒出陣兵がなんとかして、戦争の肯定的な意義や自分が死ぬことの意味を見いだそうとしているのと心理的には似通っています(しかし、彼らよりも、傍観者さんや私たちは、より安住の場で思考しているのは確かでしょう)。
そして、学徒出陣兵がこじつけた理由の大半が、「残された家族のため」ということを考えると、生活や家族を保守しようとすることが、最後には戦争を肯定する理由になるということを私たちは、心底、肝に銘じる必要があります。
しかし、ここには、本来、大義は成り立ちません。朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争と、直接、間接、アメリカへの共同歩調を掲げ協力してきたことは明らかです。これにより日本経済を潤滑させたり、市民生活(家族のちっぽけな幸福?欲望?)を保守し向上させてきたことを繰り返すのか、繰り返さないのかが問われているのです。
餓死者が出るとか出ないとかは、本来、この選択とは何の関係もない脅迫的なデマです。万一、経済が立ち行かなくなっても、それはそれ以前からの政府(政権)の失政の積み重ねであって、アメリカへ協力しないことが理由ではありません。そのときには、政府(政権)を変換する努力を日本に居住する人々が主体的に行なえばよいのです。
しかしながら、餓死者が出る本当の事情や本当に責任のある者を見損なって、いざ、戦争となると、強者の側(けっして正義の側ではない!)についていないといけないという、傍観者さんの「主張」は、どんなに冷静な現実主義を装っても、ご都合主義の慌て方が透けて見えるというものです。
慌てていないなら、いっそう悪意のある投稿のように思われます。ゲームとして珍妙な「主張」を展開されるのはやめていただきたいものです。かつて、長嶋茂雄が「社会党が政権をとったらプロ野球ができなくなる」と言ったそうだが、これよりも笑えません。