伊藤三郎氏が社共統一で自民党川崎市政を破ったのが一九七一年。その後を受け継いだ高橋清市政は三期続いた。在日外国人の人権問題、川崎子どもの権利条例に代表される地域教育改革。息子の高橋進東大法学部教授らもスタッフに、川崎は公害から変貌しつつある。けれど二期目に自民党と連合の策謀で相乗りしたことに共産党は独自候補を出し続けてきた。一〇月二一日の選挙はまもない。なんと国際勝共連合の取り巻き学者を、民主党松沢某が一市民としてかつぎ上げ、それに公明と連合、民主が相乗りした。自民党は県連と党本部がそれに便乗しつつ、市連は社民党と現職に相乗りして二股保険をかけつつ、風見鶏の高等戦略。共産党は生活クラブ生協が無党派候補を出したが、共産系列の元市職員を推薦。このままではいずれにしても公明・民主の候補か。現職が福祉や経済に限界はあるが、その意義も一緒に否定しさる。川崎という特殊な地域の重要性を、上げ底時に市議会第二党という数に頼っていると結果はとんでもない状態になる危険性を見えていない。せめて無党派と共同するか、現職と政策協定のどちらかは無理だったか。名古屋市長選に続き、戦略のない方針は都知事・・・(文字化け部分)・・・。