日本国憲法の前文および第9条は非常に崇高かつ貴重な理念を表している、と私も強く思うが、それを遵守することで結果的に、海外で圧政や戦乱に苦しむ人々を見捨ててしまうことに何がしか、わだかまりを感じているのは、私だけではあるまい。
それでは、武力攻撃を受ける危険を伴う、海外で圧政や戦乱に苦しむ人々の救援警護を、日本人が平和憲法に全く抵触しないよう行なうには、どうすればよいのか?
答えは、NGO[非政府組織](護憲)義勇軍の創設・運営より外にはない。
安全な場所で圧政や戦乱に賛成だの反対だの叫んだところで、弱い者が泣く現実は、どうなるものでもない。例えば、本気で戦争に賛成するなら、武器を持って最前線で戦うべきだし、本気で戦争に反対するなら、これまた最前線で、白旗を振るなり兵士を説得して回るなりして、自分の体を張って止めるべきだ。どちらも出来ないなら、黙々とローカルに出来ることを実行してゆくしかない。
日本人の中では、ただ(、海外で圧政や戦乱に苦しむ人々の救援警護を果敢に行う)NGO(護憲)義勇軍の個々の義勇兵のみが、みずから係る海外の圧政や戦乱について公に意見を表明する道理[権利]を、真に有するのではないか、という気がしてならない。
私は、といえば、今のところ、とても義勇兵には成れそうもない。よって、米同時多発テロへの「ならずもの国家」的な軍事報復について公の場で特に言うべきことは何もない。