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自由競争の賃金格差

2001/11/6 ケイエス、40代、失業中

 自由主義社会は、経済発展の活性化等の考えから競争心をあおって居ます。それはプロフェッショナルと呼ばれる人達の高額な稼ぎ。日本では、プロ野球選手の年俸も一億越えてきましたが、アメリカでは遙かに高い年俸が掲げられています。
 日本では、年間所得が一億を越えると半分以上税金で持って行かれると言われます。因みに半分でも5000万円。しかし、私が過去に1ヶ月100時間自覚の残業(36協定違反)が3ヶ月続いた事が有ります。その年でやっと年収300万円を超えた程度。年齢は30歳前後。しかし、賃金の統計は30歳代を平均として公表されるようですが、平均年収が500万とか700万とか言われます。
 私は埼玉県秩父市に在住ですが、埼玉県の賃金ベースは、東京より劣り、同じ埼玉でも県北は更に劣ると言われます。比較的低賃金の県北より悪いのが秩父地域と言われます。賃金の格差は、職種、会社、地域で格差が有ります。特に最近は失業者も増加。無収入の人も居ます。失業者は別として、賃金の地域格差は、都市部は高く、地方は低くなっています。
 大量消費地では、単価コストが押さえれれますが、地方では単価コストが高く付きます。公共の足で有る鉄道、バスも地方では割高運賃。低所得で費用の掛かる地方は、生活費の負担率が高く、それが人口の都市集中を招いて居ると想います。
 土地の安い過疎地域でも、職人を必要とする建物は、多少の地域差が有るかも知れませんが、変わりません。それより、電気、水道、道路を考えた場合は、地方とて安くは住宅を手に入れる事は出来ません。
 最低限度の文化的生活はどの程度の物なのか、これを明確にし、その生活を維持するのに、どの位の費用が掛かるのか、計算する必要があります。そして、その費用を、全ての国民に行き渡らせるような仕組み(雇用)を最低限度の基本として、経済環境を組み立てる事が、憲法の趣旨に合う事であり、それが、「ゆりかごから墓場まで」の社会を築く事が出来ると想います。
 その必要以上に収入を得たとしても、それは一所に溜まり、経済が循環しなくなります。高額の収入を得る人の年間収入は、一般の人が一生掛かっても得られない収入を稼ぐ人も居ます。私は、それだけ稼げれば、私は一生遊んで暮らしたいと想います。
 それだけ稼ぐ人は、高い評価を得た人達。または、資格や資金力で、他人の力を利用し高額収入を得る人も居ます。しかしその影には、宝くじ1等の1番違い、それに加え組違いのように、泣いている人が沢山居るのが、競争社会です。競争社会は博打社会でも有ると思います。
 私は、経済の発展に必要な事は認めますが、足の引っ張り合いの競争社会は、末端で泣いている人、働く意欲を無くす人、生きる意欲を無くす人と言う弊害の方が多いと想います。
 仕事が無いと言っている日本。仕事があっても、生活費を稼ぎ出せなければ、仕事をする意味も有りません。物を作っても売れないのならば、遊ばせれば良い。東京ディズニーランド。思いで以外は消えてしまいます。入園料、中での飲食費は、安く有りません。しかし、不況の中でも不況知らずです。娯楽の電化製品、例えばCDラジカセも今では、その入園料で買えます。そして、残ります。1日の費用は、遙かに安い物です。
 人間が生きていくのに無くてはならない食料品は、品薄の時は市場原理、しかし、暴落しそうな時は市場原理を避けて保護されます。食料の国内確保の意味は分かりますが、何故国内で100%の自給自足をしないのでしょうか。国土の狭さを指摘する声も有ると思いますが、人間の原点は自給自足です。
 自由競争は、無駄も多いのではと、私は感じます。それは、消費者の購買力を予測して作り、特に生鮮食品は売れ残ればゴミになります。狂牛病騒ぎは、動物の命をも粗末にする結果になりましたが、自由社会の利益優先の無理が祟ったのではと想います。
 薄利多売は、毎日必要不可欠な食品は、歓迎すべき。しかし娯楽品等短期間で消費仕切れない物の薄利多売は、業者間の競争で無く、多くの労働者の利益を奪う結果になっています。
 国の関わる公共工事の入札による業者間の競争は、結局請負会社やその労働者の利益を損ねる結果になっています。それは、違法工事や、交通法無視の運送業者を出している事です。
 自由競争も必要ですが、基礎的な部分は、計画経済も必要と想います。年功賃金は、千差万別の人生設計を狂わせる事になり賛成できません。しかし、実力に応じた賃金制度はそれ以上に反対です。
 仕事の能力がどうであれ、最低限度の文化的生活保障出来る仕組があった上での、上限を設けた自由競争が敵と想います。これは、私が実力を持たない、競争意欲がない、また競争によってプレッシャーを受け想う仕事が出来ないと言う私の主観的な意見です。