私は、酒の無理強いも拒否しています。最近は、酒を飲まない人の権利も尊重去れるようにも成ってきていますが、まだまだ僅かです。
社会は、酒が飲のつき合いが出来なくて仕事が出来るか、と言う考えを持っている人も多いと思います。現に社交は、国家、外交レベルでも付きまといます。
会社は、入社面接の時、飲酒について聞くところは、少ないと思います。趣味などは大部分の所で聞きます。しかし、会社内で趣味等意味しません。酒を飲まないと、村八分の状態にも成ります。会社自体が、酒のつき合いを強要するところさえ有ります。
私は、高校卒業後亡鉄道会社に就職2年で辞めています。仕事よりも人間不信を感じた事からです。規則には厳しいはずの鉄道。しかし、入社歓迎会では、未成年にも関わらず、酒の強要が有りました。他の者は、全員飲みました。最後まで私は飲みませんでした。しかしそれは、大部分の企業も同じだと思います。
慰安旅行では、未成年の私に、力ずくで飲ませようとする者も居ました。私は駅の仕事で、酒に酔った悪い印象を覚え、私は生涯、飲酒をしないと決めました。
勤務中の飲酒は厳禁の筈の鉄道での、徹夜勤務の飲酒、上司の同僚の特急券未購入の見逃し、今の外務大臣ではないが、裏の汚さを知りました。「社会で生きるには、堅すぎてはいけない。柔軟に、要領よくやる事」と教わりました。
私は、自分に対しての正直な気持ちで意見を言います。それが、「屁理屈とか、大人げない、今回は小学生では有るまいし」と非難する人が居ます。それは、不快感を感じます。
私は、大人こそ、子供のように自分の正直な気持ちをハッキリ言って欲しいと思います。しかし、今の子供達は、社会の影響なのか、考えている事がわからないのが現実です。
雇用難の中、新たな仕事に向けた教育をと、政府は盛んに言っていますが、それは、能力のある人や、教育産業に光を当てるだけです。反乱する資格制度は、再就職へのハードルを高くしています。 即戦力に成る労働の提供は、企業の労働者に対して軽視する気持ちを植え付けると思います。オートメーション化の進んだ現在は、同じ金を掛けるなら、機会の方に主流が行くでしょう。
社会は、人間が生きる為に、生きる為の労働を確保をする、環境にしなくてはいけないのです。私は勤労の義務を怠っています。憲法違反です。国は、私に対して何故法的な処置をしないのでしょうか。凶悪犯罪が増大しています。私自身、凶悪犯罪を憎みます。しかし、内心を無視できません。
働かざる者喰うべからず。それは死を意味します。「急鼠猫を噛む」の如く、人間が追いつめられれば、自殺をするか犯罪に走るかです。私は泣き寝入りは嫌いです。因みに私は、後者を選ぶと思います。