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貧困ラインという考え方

2001/12/16 ミドリ

 私の祖母が言いました。「昔は貧乏人か金持ちかは一目見ればわかった。それが今はみんな同じになってしまった」…と。

 私は団塊の世代の生まれですが、子供の頃、生活は今とは比べようもなく貧乏でした。家の中には壁の隙間から風が入ってくる、天井ではネズミの運動会、狭い家に皆で雑魚寝し、毎日同じようなものを食べ、親は仕事や家事に追われているので、子供は皆風呂の水汲み、子守り、洗濯と手伝わされ、夏は暑さにまいり、冬は寒さに震えていたものです。

 ところが今はあの当時から見ると夢のような生活です。そこそこの家に住み夏は涼しく、冬は温かく過ごせ、風呂はボタン一つで沸く、洗濯は冷たい水に手をつけることなく、テレビを見ている間に仕上がっている、おいしいものは食べられる、衣服その他の生活用品は安い、一人一台テレビがあり、休日には各市町村に一つはある温泉に入りにいく生活…。

 今の時代、日本で貧しいのは住宅だけと言われますが、それとてウサギ小屋と世界からバカにされていた頃から見ると、今はこぎれいな住宅やアパ―トが建ち並んでいるようになりました。

 共産党の綱領によると「膨大な貧困層を生み出している…」とあります。85パ―セントが中産階級と言われる日本で、共産党の言う貧困層の基準がどこにあるのか知りませんが、私の認識不足か、膨大というほどの貧困層があるとは思えないのですが…。

 ある学者の説に、「客観的な貧困ラインというのがあって、それ以上の生活レベルであれば人間の幸・不幸感には大差がない」というのがあります。人間は恵まれている事の幸せに気がつかず、不平不満ばかりを言いたくなるものです。幸せの要素には幾つもあり、お金があることなどその要素の一つにすぎません。人間他人と比べ始めればきりがなく、比較の対象によって幸せにも不幸にもなるものです。

 20代民青の活動である党員とビラ配りに行った時、立派な大きな家の前で彼は「俺はこういう家を見るとなあ…」と、憎しみを込めた顔で言い、私は思わずその表情にぞっとしたことがありました。彼は共産主義運動に命をかけていると言った、当時民青の地区委員長をしていた人ですが、学童期、昼食に弁当を持っていかれなかったほどの貧困を経験したことが心の原点となったのだそうです。私など「こんな大きな家掃除が大変だろう」くらいしか思いませんでしたがね。

 職場に「人間皆同じ生活レベルになってしまったのならつまらない、違いがあるからおもしろい。」と言う人もいます。彼女はどちらかというと低所得者層に入る人です。

 またあるお金持ちは「世界も日本も旅行に行きつくした。お金はたくさんある。生活には困らない。でもなにか毎日がつまらない、むなしい」と言いました。

 科学的社会主義によると人類社会は搾取のない、皆平等の共産主義社会に発展していくといいます。今の時代は資本主義社会、貧富の差がある社会ですが、客観的な貧困ラインといった観点で、豊かな生活とは何か、人間にとって幸せな生活とは何かといったことを考えてみるのもいいのではないでしょうか。