私は30年前民青にいましたが、その後の経緯など知らなかったところ、先日の投稿で十分の一に減った事を知り大変驚きました。その当時よりジリ貧の傾向はありましたが、そこまで減っていたとは…。やはり民青には青年をひきつける魅力が無くなって来ているというか、世の中が変わってきているのですね。30年前というとソビエト社会主義崩壊の前ですから、無知ゆえの愚かさというか、青年期独特の理想に燃える情熱のようなもので、私自身も一時期一生懸命になったものでした。地区委員長には命を賭けていた人もいました。
しかし私は、何かおかしいと民青や共産党には感じていました。それは歴史の長い民青で組織の体制もしっかりとしているのに、加盟してくる青年がザルに水を入れるようにこぼれていってしまうのです。で、民青はこういう組織なのだろうと結論し、ザルに水を入れるような無意味な事をいつまで続けても仕方がありませんから、適当なところで見切りをつけやめました。
当時とは世の中が大きく変わりました。今の青年はいろいろな意味で豊かさの中で生まれ育っています。周囲には生活を楽しむものも多くあります。それは青年を取り巻く環境にはさまざまな問題がありますが、それが社会主義や共産党とは結びつかない、ソビエトが崩壊し共産主義の虚像が明らかになってしまったのですから、今更いくら共産党が科学的社会主義を正しいと強調しようが、もはやそれが青年の心をとらえることはなくなってしまった。私も今になって思うに、一時の情熱で入党しなくてよかったと思いますよ。
組織というのは一度できると人数を増やし大きくするのが至上命題になります。この程度の小人数でいいわというわけにはいかなくなる、それは組織のもつ本能のようなものでしょう。ましてや政治的な青年運動を行なっている民青では、今の政治を、体制を変えるには同志を増やしていかなければならない。民青は唯物弁証法の社会発展の法則―量的変化から質的変化への移行の法則―が哲学なのですから。
私も20代何が真理か知りたくて民青に入ったのでしたが、疑問をもちながらも組織の渦にまきこまれてしまったため、立場やしがらみで抜けられなくなり嫌な思いも多くしました。
これから民青がどのような発展、変化をしていくのか分かりませんが、なにも目くじら立てて組織を大きくする必要もないではないですか。青年を獲得する事に奔走する姿は、狭い地域に乱立し客を奪い合うスーパーのようです。民青は営利企業ではないのですから、民青が何と競争するというのですか。民青が大きくならなければ日本が、日本の青年が悪くなっていく訳でもありませんし…。
「未来は青年のもの」
そんな民青のスロ―ガンを懐かしく思い出しながらこれを書きました。