民青同盟の話題がこの投稿欄に時折出ていて、懐かしく思い投稿いたしました。学生時代に核兵器廃絶の運動に出会いその中で加盟していました。
私が所属していた80年代中盤は、組織内に社会党支持(共産党不支持)の者もいました。選挙の時は、班として支持決議が出されない場合は後援会活動は組織として行っていませんでした。現在は「共産党綱領と科学的社会主義を『学ぶ』」という一致点は守られているのでしょうか。はたから見ていると、共産党のミニ組織のようにも見えてしまいます。
80年代後半に共産党より「柔軟で新鮮な接近」という青年運動の方法論が出されましたが、それ自体も紋切り型になっていないか心配です。
民青が、「地区委員会の廃止」の方針を打ち出した時、私の住んでいた田舎では、センターがなくなるということで少なくない反対がありましたが、方針に「班数の倍化」を掲げた現在、当時の方針の総括があってもいいのではと思います。
民青同盟で学んだ運動論(実践も含む)、理論は現在所属している労働組合(必ずしも共産党系とはいえない)での活動に生きています。大衆運動の中で鍛えられ、学んだものは財産になるものですね。色んなイデオロギーが存在する社会の中で一致点を見出し、運動をすすめることを民青で学べたと思います。
ひとつの考えにまとまることもアリかもしれないけど、沢山の色んな考えを受け止め、活動の方向性を見出していく柔軟性は、今の民青同盟には可能だと思います。その生命力に期待したい。
私もまた
「未来は青年のもの」
と思うのです。