民主党の主張で、「不良債権の抜本処理を断行することこそが景気低迷とデフレから脱却する唯一の手段である。」とあるが、不良債権の処理は確かに必要性があるだろう。現在でも、経常的に営業赤字を出し続けているような会社もある。そういったところを、倒産ではなく、個々の業界の再編を通して、なるべく経済の流れを縮小しないようにもっていくことが必要(赤字企業でも、その生産・売上の部分を消し去るのと再編するのでは、全く意味が違う。消し去ってしまえば、確実にその分経済が縮小してしまう)だろう。
しかし、この方法は、金融機関が倒れる、或いは、その風評によって危機に陥ることによる崩壊を防ぐ方法であって、景気低迷とデフレから脱却する手段ではない。基本的には、経済規模を縮小させデフレを加速させる方向に働くものだ。景気の悪い会社を早くあきらめて、その人材を新会社設立にうまく持っていき、そこで新たな需要が生まれれば、経済が活性化するのではないかと考えているのだろうが、そう簡単に、新しい会社を起業できないのが現状ではないのか。
ここ数年で、個人の所得分配の格差が拡大しているし、税制もそのような格差拡大の方向に動かしてきている。中間層が相対的に減り、所得が低い層と高い層がその両端を伸ばしながら拡大している。その結果、中間商品の売れ行きが悪くなり、ディスカウントされた廉価品と高級商品が売上を伸ばすという形になっている。
この所得格差拡大にデフレの1つの原因がある。所得の高い層は、資産デフレにより自分のもっている資産価値は減らしているかもしれないが、土地・株の実体は相変わらず所有し、その価値低落を埋めるために金融資産を増やしている(日本銀行の統計で金額階層別預金者数1億円以上の預金口数の伸びが大きい)。これが市場の通貨流通量を減らす大きな原因になっているような気がする。また、中間層が減って、そこが基本的に低所得の方へシフトすることで購買力が低下している。
そこを解決する為に、昨今の構造改革の手法は、所得の低い人の購買力回復に頼るのではなく、所得の高い人に市場に再度金融資産を投入させることで行おうといている。これは、購買力の低くなった層を消費市場や労働市場から追い出し(ついには死に至ることも辞さないという傾向が見られる)ても経済成長を保たせるという方法だ。大量失業も行き過ぎの部分を多少緩和してやれば、その失業構造は残すことにことによって競争力を上げようとしているのだろうか?所得格差拡大という競争社会を作り上げる中で、失業増大も必然のものとし、それでも成長できる社会を目指すのだろうか?
もちろん、失業対策として新産業育成の方針はたてているが、その消費者ターゲットは?購買力の低くなっている層からさらなる消費を引き出すのは非常に難しい。
重要なのは、所得格差拡大という競争社会でなく、労働者の中でも所得の高い層に対して、より多く仕事を与え所得を増やす構造から、ゆとりを与える構造への変換ではないだろうか。ゆとりをもてる生活への競争という形に変えられないであろうか。所得格差拡大が緩和されれば、デフレ傾向は必然的におさまっていくように思えるのだが?