お目出度い状態では有りませんが、取りあえず
明けましておめでとう御座います。
知的所有権には、発明特許、実用新案特許から始まり著作権、商標権ets有ります。特に著作権については規制が厳しいような気がします。
発明特許は15年、実用新案は10年の独占権が認められています。しかし、同じ物を発明しても、先に特許権を取った物が勝ちです。自分で作った発明品を使いたくても、特許権が無ければ、特許権の持ち主に使用許可を貰い特許料を支払わなくては使用できません。
現在は、元々有る物に手を加え実用新案権が加えられ、一般の人では把握仕切れない程の権利が至る所に着いています。その中での、主婦達を中心に特許を取る人が多くいるのに驚きます。
何かを発明したとしても、既に権利が設定されてる事も多く、特許の申請は只では有りません。1件の申請だけで、20年前で5000円の収入証紙を張りました。審査が進むにつれて更なる費用が掛かるようです。申請書類は、活字又は黒の墨で書いた物でなければ成らないとされます。そこで一般の人では、特許の申請手続きが出来なく成ります。
そこで、一般の人は弁理士に申請を委託することになります。しかし、その手数料は10万円以上の単位と聞きます。余程、元を取る自信がなければ特許申請など出来ません。
著作権の権利は非情に長く著作者の死後50年とされます。画家等の作品と言うと作者が亡くなってから世に出る物が多いようです。そう言うところからなのかも知れませんが、作者の死後に権利を与えても、本人への恩恵は有りません。
それより、著作物を利用したい人に、使用制限が及びます。例えば、音楽の著作物であるCDを買います。著作権を無視して利益を得ることは行けない事は理解出来ますが、個人的に聞く以外は、著作者に無断で使用しては行けないと制限しています。例えばカラオケは、聞く目的よりも利用する目的で買うと思います。カラオケは個人で楽しむより人に聞かせる方が醍醐味です。
著作権は、権利者の保護を手厚くすることで、利用者の権利を阻害しています。知的所有権は、コンピューターを動かす為に必要なプログラムソフトにも及んでいます。確かにプログラムを作り上げるには、知識は勿論、費用、労力も沢山必要でしょう。
しかし、プログラムソフトが無ければ知識のない人にはコンピューターを動かす事は出来ません。ソフトを使った場合、大勢のニーズに合わせ作成しているため、個人的なニーズに合わない事も多々有ります。しかし、著作権はプログラムの改変を認めていません。
著作権ですが、一般の人には権利の取り方は分からない人が多いと思います。私も分かりません。例えば音楽では、音楽著作権協会が有りますが、多分一般の人には開放されていないでしょう。
著作物を自由に利用したくも近くには窓口は有りません。最近、音楽業界では、曲の盗作問題が浮上していますが、曲は音符の組み合わせで出来ています。ですから無限に近い音符の並べ方が出来るでしょう。しかしそれでは曲になりません。それは聞き易い、メロディー、旋律が有ります。世界には数え切れない程、沢山の曲が有ります。現在著作権を持つ曲も、古い曲の盗作と思える旋律を持つ曲が多い事は確かです。音楽は感性の物、似た曲は勿論、偶発的には同一曲に接近するような曲が生まれる事は、避けられないと思います。
考えれば掲示板に投稿しているのも、一種の著作物です。失業中の私にとっては、収入源にしたい気持ちがあります。同じ労力を使っても、権利によって、利を得られる人と得られない人の差が出ます。
ビデオには、VHSとベータマックス、パソコンはウインドウズとマッキントッシュ、現在ビデオではデジタル化に移行中、パソコンではウインドウズの変化、容量アップと、ユーザーの意向を無視しての少しずつの改良変化は、ユーザーの購買力にブレーキをかけたと思います。
半年毎に、製品の改良を行いグレードアップ、値段は横這いか、値下げ、ユーザーの購入意識を躊躇わせたはずです。その例がパソコンです。ビデオカメラはデジタル化が進んでいますが、それには思いでの映像が詰まっています。民間企業は利益を得られなければ必要な製品でも作りません。それは思いでの映像を見られなくなると言うことです。
現在復活を見せたレコードプレーヤーや、8ミリフィルム、ビデオのベータマックスは、隅に置かれています。
食管制度は税金の無駄遣いに思われていましたが、必要な物は高くも作り残さなくては行けないのです。鉄道で言えば、過疎の地方と過密の都市では、収益率は違います。赤字でも動かさなくては、ならないのです。
それらの事は、民間では無理な事です。赤字産業と黒字産業の中和させられるのは国の管理下にあるのが条件です。
文化の進んだ現在、知的所有権を手厚く保護しなくても、社会にはそれ程影響は無いのではと思います。寧ろ、手厚い保護が、生産競争の中でハンディを背負わされているところも有るはずです。
自由主義でありながら、支配する自由は認められている物の、支配される側には自由・権利が阻害されていると、私は感じているのですが。