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再び、龍の騎士さんへ。(唯物論と観念論の区別について)

2002/1/23 富士山、30代、事務職

 龍の騎士さんが、私の疑問に対し返答していただいたことに感謝します。
 しかし、その返答を読んでも私の疑問に答えたものになっていないと考えましたので、再度投稿します。今回は一番目の問題に限定して書きます。私の1つめの疑問は、

  1. 世界は何らかのかたちで創られたのか、それとも世界は永遠の過去から未来にわたって存在するものであるのかという問題、つまり世界の始まりに関する意見の相違が、唯物論と観念論を分けるのだという見解。
  2. 観念論においては、精神が物質よりも決定的・根本的な存在であり、物質は精神の産物にすぎない。それに対して唯物論では、物質こそ根本的な存在であり、精神は人間の頭脳活動によって生み出されたもので、人間の頭脳を離れた精神的存在などというものは存在し得ない。つまり物質と精神のどちらがより根本的と考えるかが、唯物論と観念論を分けるのだという見解。

 この1と2は別のことではないかということでした。これに対し、龍の騎士さんは、「ゆえに、・・・という論理が導きだれるわけです。①は言うなれば「前提」で②はその論理的な結果であり、全く違ったことを述べているわけではないのです。」と説明をされています。しかし、この説明では、なぜ1の前提から必ず2が論理的に導き出されるのかがわかりません。
 龍の騎士さんの説明では、「創造者」を想定しなければ観念論でないかのような説明がされています。しかし、現代の日本には多くの仏教や神道や若干のキリスト教の信者がいますが、このような「創造者」によって世界が創られたと考えている人は(キリスト教徒でも)ほとんどいません。すべての宗教が創造神を持つものでもありません。そしてこれらの天地創造の神を持たない宗教を信仰している人を唯物論者であるとして良いのでしょうか? これらの人々の中には、例えば龍の騎士さんが観念論として紹介された実存主義者にも「世界は永遠の過去から未来にわたって存在するものである」と考える人もいるでしょうし、そのことに何の矛盾もありません。
 従って、1と2は一致しません。私は、この1の指標を用いて唯物論と観念論を区別することは、誤りであると思います。