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一般投稿欄

日本共産党と大衆組織

2002/1/24 名無しのゴーストライター、40代、自営業

 共産党のような組織政党と大衆運動とは切っても切れない関係がありました。それは青年や学生、婦人、年金生活者といった社会のある階層の利益や要求を代表するものや、労働運動、原水爆禁止運動、そして消費者運動といった勤労国民の要求に基づくものがあったと思います。特に革新勢力に勢いのあった1960年代後半から70年代前半にかけて共産党や社会党の影響下にあった各大衆運動組織も活動を活発化させ、国論に少なくない影響を与えたことは否定できないでしょう。
 しかし80年代以降は、革新勢力の退潮とともに政党色の強かった組織が徐々に政党離れと規模縮小を起こし、影響力を低下させるとともに、大きな大衆運動も起こりにくくなってきました。あるいは組織の「看板替え」を行って、ジリ貧から脱しようとする勢力もありました。この主たる原因を「反共保守勢力の大規模な巻き返し」「逆風に党の指導が足りなかったから」などとする見方が党では公式的ですが、果たしてそれは正しいのでしょうか。
 私は、かつて共産党の影響力が強かった某生活協同組合で仕事をしていたことがあります。私の周囲から、共産党の専従者や地方議員にトラバーユ(古い!)していくことも珍しくありませんでした。しかし大手資本との競争が激しくなり、経営を厳しくコントロールしなくてはならない状況になると、「党の指導を受けて」などという話しではなくなってきます。勢い政党色を薄めた生協運動は、逆に多くの勤労国民(‘消費者’とひとくくりされる)の多数を組合員として組織するという皮肉な結果をもたらします。当時私の所属していたM県委員会の幹部は、生協の政党色の薄まりを嘆いて「もっと厳しく指導しなければだめだ」と力説していたことを思い出します。
 私が離党した直接的なきっかけは、90年代前半に赤旗評論特集版(以下評特)が、突如生協批判をはじめたことです。バブル崩壊の影響もあって、どこの生協も経営問題が浮上していた時期にあたります。この論文は、当時の生協内活動家に大きなショックを起こしました。評特の主な批判は「生協は消費者の生活を守るという原点を忘れている」「大手流通業と変わらない経営姿勢」「平和運動を忘れて経営に一面化の傾向」などという内容でしたが、仲間の受け止め方は「経営を守ることが俺たちの仕事じゃないか」「共産党は何もわかっちゃいない」という否定的な受け止め方でしたが、あきらめや敬遠、あるいはあえて触れないでおくといった‘空気’が支配的だったように思います。
 私は、「そういった空気ではいけない、このままでは生協運動自体も前進しない」と考え、反論文をしたためて「広く議論を起こすため掲載していただきたい」との‘お願い文’を付して評特編集部に送りました。結果は「編集権は当方にあり、貴殿の反論を掲載しないことにしました」というものでした。ご丁寧に返事をいただいたことは多としますが、予想はしていただけに「この党に期待するものは無くなった」と悟った私は、ある事情で職場をやめた機会に離党しました。かつて活動家の供給源だった生協組織が、自らの手を離れようとするのを食い止めるために批判キャンペーンを張ったのは今となっては明白ですが、もしあの時党の批判通りに運営していたら、その後襲うことになる大不況で、多くの生協は経営を存続させることは難しかったと思います。
 今では党の影響下にあった生協は、そういった「しがらみ」を断ち切って、資本主義下における経営の常識に則った(一部では完全なスーパーとして)運営をしているところが多くなっているようですが、それを断ち切れなかったために単なる党の一機関になってしまった大衆組織の例が、原水協だったと思います。
 1980年代前半、原水協の幹部を長年務めてきた吉田嘉清氏が、解任ならびに除名された事件です。そのいきさつに関して党の見解が何度も赤旗に掲載され、平和運動のエキスパートとして名を知られた吉田氏を‘裏切り者’扱いにした異常なものとなりました。しかし吉田氏がやったことは、原水協を党の影響力を薄め、「真の大衆組織」に脱皮させる企てだったと、私は評価しています。本人もその旨を本で書いています(日中出版「原水協で何が起こったか-吉田嘉清が語る」)。今でこそNGOが社会的認知を得ていますが、どの政治勢力からも独立し、自立してものを考え、自発的に行動するNGO的理念が、吉田氏の頭にあったと思います。共産党はその動きを「大衆の要求から離れ、権力迎合型の運動に流し込むたくらみ」として、大々的な糾弾キャンペーンを展開したのです。結果吉田氏は原水協を追放され、吉田氏を支持した古在由重氏まで除名されてしまいました。こうして優れた唯物論哲学者だった彼の存在は、公式の党の記録から消えることになります。吉田氏は、除名されてもなお平和運動を続けたいと考え平和運動の拠点を設立しますが、共産党はまたも・・・(文字化け部分)・・・。
 吉田氏と共産党のどちらに先見の明があったのか、今となってははっきりしていますが、このように「上から指導を受けて」という型の大衆組織が、その呪縛から抜け出して自ら歩み出そうとすると、激しい反発と妨害を受けたのです。そうやって党に縛ってきた組織が、今やどれほどの影響力をもっているのか、検証してみたらいかがでしょうか。
 大衆運動はかつての政党組織型から、ある特定かつ具体的課題を軸にその問題に関心を持つ者が自発的に行動を起こす時代になっています。民青や全学連の組織弱体化の話題が何度もこの欄をにぎわせています。以上見てきたように、大衆組織が党の意向に沿わなければならないとするむき出しの「前衛政党」意識が、共産党が時代に取り残される一因になっているように思います。むしろ今意識や行動形態として「前衛」にいるのがNGOやボランティアに自発的に参加する一般市民であり、大衆運動が党の影響下になければならないというドグマから逃れられない共産党こそ、「後衛」になり下がってしまったのかも知れません。
 なぜ民青や全学連が組織力を著しく減退させたか、いくつかの要因の中に以上述べてきたことが当てはまらないでしょうか。ぜひ賢明なる諸兄、諸姉のご批判、ご意見をいただきたいと思います。
 追伸;今でもかつての仲間が生協で活動しています。私の名前が明らかになって彼らにあらぬ嫌疑がかからぬように、あえて「名無しのゴーストライター」というハンドルネームを使います。ご理解ください。