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龍の騎士さんへ

2002/2/4 富士山、30代、事務職

「もう一つ。上記のような「枝葉末節」の無用な議論を避けたいというのであれば、どうか富士山さんの考えておられる「世界観」「唯物論」「観念論」とはいかなるものかを、私のように区別と連関において全面的・体系的に展開してください。そもそも私に対する反論が生まれたのは富士山さんが「世界観」に対して独自の見解をもっていらっしゃったからでしょう?」

 唯物論と観念論の定義については、物質と精神のどちらが根本的、根源的と考えるかにより区分されるということで良いと考えています。観念論の中には、世界の始まりの原因を精神的なものによって説明しようというものとそうしないものがあるということで良いと思います。

「エンゲルスにさえも異論をもっていらっしゃるのですから。ならば本来は私が公にした見解に対して、部分的な反論だけでなく、ご自分の見解の「全体像」そのものをもぶつけるのが筋ではありませんか? 富士山さんは2の見解さえあればことたりると申されていますが、もともと最初の反論では2の見解にさえ疑問を呈しておられたではありませんか。私はすでに一般論レベルとはいえ、「世界観」に関する見解の全体を公に展開したのです。でなければフェアとは言えないのではないですか? この意見は間違っていますでしょうか?」
 私の見解の「全体像」を示せとのことですが、私自身は自分のことを唯物論者であると考えています。しかし、あなたや日本共産党の見解にはついていけない部分があるということです。
1.あなたの(というより通説かもしれないが)観念論の説明はあまりにも一面的だと思います。主観的観念論を観念論の例として揚げられていますが、「眼をつぶれば世界は消えてなくなる!」などという主張など現代の日本においてそんな考えはほとんどないと言って良いでしょう。
2.唯物論と観念論の定義に拘るのは、政治的にこの問題を悪用される危険性があるので、それを防ぎたいという思いがあります。ある場合には、1の定義を出して現代の日本人のほとんどは唯物論者であると言い、他の場合には、政治的に党中央と異なった見解を持った唯物論者に対して厳密な議論をして「観念論に転落した」というような政治的ご都合主義に使うのはおかしいということです。
 以上、全体像を示すことはできなかったかもしれませんが、ご容赦ください。