J.D.さん、どうもありがとうございます。「反論・質問等は大歓迎です。」とのことですので、お言葉に甘えさせていただきます。ざっと読んで、納得できなかった部分や疑問に思った部分を議論の取っ掛りとしてごく簡単に提示します。(1のみ龍の騎士さんへの質問)
1. 龍の騎士さんへの質問
「世界の創造」を現に毎日毎時創造されつつあるとする考えまで含めるべきであるということですが、前回、龍の騎士さんからはそのような指摘はありませんでした。J.D.さんの説明では『「自分はこう思うから、現実にはこうであるはずだ」というのですから、自分の精神が現実の物質的な世界を(部分的ではあれ)創造していることになるのです。つまり、この決めつけの部分に関しては(上述の二つ目の意味に関しては)、観念論である・あるいは観念論的である・としてよいわけです。』という風に「決めつけ」のようなものも広い意味での「世界の創造」に含まれるということですが、J.D.さんの指摘でよろしいでしょうか?
2 J.D.さんの説明と龍の騎士さんの説明は同じではないように思います
龍の騎士さん・・・「世界のありかたをどうみるかにあたって(この場合の「世界」とは今現在の世界ではなく、人間はおろか生物、さらには地球さえ存在していなかった時代をも含めての世界です)、世界は何らかのかたちで創られたのか、それとも永遠の過去から未来にわたって存在するものであるのか二つの流派が存在し前者を「観念論」、後者を「唯物論」と呼ぶ。」
J.D.さん・・・日常的な例でいえば、根拠もないのに決めつけるということがよくあります(特に日本共産党内では)が、これは二つ目の意味で世界の創造を認めていることになります。「自分はこう思うから、現実にはこうであるはずだ」というのですから、自分の精神が現実の物質的な世界を(部分的ではあれ)創造していることになるのです。つまり、この決めつけの部分に関しては(上述の二つ目の意味に関しては)、観念論である・あるいは観念論的である・としてよいわけです。
龍の騎士さんは、明らかに広い意味での「世界」についての創造の議論をされていると思います。普通に文章を字義どおりに読めば、J.D.さんのような日常的な決め付けの話は明らかに飛躍があると思いますが、如何でしょうか? この2つの文章だけを読み比べれば、J.D.さんには龍の騎士さんの見解を正確に理解されていないように感じます。
3.J.D.さんは唯物論と観念論の区別に対し第三の説明をされていると思います。
a.物質と精神のどちらがより根本的と考えるか
b.観念論=究極的には「精神→物質」であるとする世界観
唯物論=究極的には「物質→精神」であるとする世界観
aとbは異なるのか、同じなのか? 同じであるとするなら、aに統一することに異存はありませんか?
4.「唯物論は、「世界の始まり」など認めないのです。
とのことですが、一般的に現代人のほとんどは世界の始まりとしてビッグバンを考えますし、私もそうなのです。ビッグバンにより世界は始まったという科学的知見は唯物論では認められないとお考えでしょうか?