保坂さんの投稿をめぐるmakkieさんの投稿は、おおむね理解できますが、ひっかかるところが2点あったので、それについてだけ投稿します。
立場の異なる者とは議論が成り立たない
保坂さんのような一党員の投稿に、さざ波を大事だと思う常連投稿者の方々が、これほど色めき立つのなら、十月に、“アメリカの報復戦争に協力しないと、日本に餓死者がでる”といった主旨の悪意の投稿に対しては、沈黙を守り続けていたことが、少なくとも私には奇妙に思えてなりません。
私は「沈黙を守り続けていた」1人です。しかしながら、私にとっては「奇妙」でも何でもありませんでした。
まず、「一傍観者」氏の投稿は、確かに立場が異なることは間違いないでしょうが、「悪意」だと言うのは正しくありません。それは、共産党とは離れた位置にいる方のごく普通?の見解です。簡単に言うと、「日本経済はアメリカ経済に深く依存している」→「だから、アメリカのやることには何らかの形で協力しないといけない」→もし「アメリカ経済から断ち切られたら、食糧自給率が低いので日本飢餓状況になる」というものです。単純きわまりないですが、事実に基づいてはいます。
そもそも日本共産党は、日本経済などがアメリカに深く依存している「日米安保」体制自体を変革すると主張しているわけですから、「一傍観者」氏の懸念?(反論?)は当たりません。日米安保体制によってアメリカ経済への依存(食糧やエネルギー、市場など)をすすめ、また農業を切り捨てグローバル企業を優遇してきた自民党政治の歯車を逆回転させるのが、共産党の政策であるのですから。
この件に関して言えば、国家の安全保障という側面から言えば、「備えあれば憂いなし」とは、まさしくアメリカ経済への過度の依存、食糧自給率の問題こそ、現在の日本にとって真っ先に解決しなければならない問題です。「有事法制」などもってのほかと言うべきでしょう。
本題にもどると、「一傍観者」氏の投稿をみたとき、私は上のように簡単に反論するだけでよい、むしろ相手にしなくてもよいと考えていました。なぜなら、「さざ波」へやってくる人たちはある程度、基本的な日本共産党の政策を理解しているはずだからです。たまに「一傍観者」氏のような人が紛れ込んできますが、基本的な立場を相違する人と議論をしても議論は成り立ちません。一方、保坂さんは基本的立場をともにするからこそ、いろんな方からの反応があるのではないでしょうか。
「表現の自由」「言論の自由」ではなく、議論の場所の問題
激烈に敵対すべきは後者のような思想の持ち主であり、存在形態なのであって、頑迷な一党員(失礼!)であるはずはないと思います。 余談ですが、そもそも、後者の投稿は、形式的な手続きに問題がなくとも載せるべきではなかったと、今でも私は思っています。この点で、私は「表現の自由」「言論の自由」を最小限に見積もる立場を選びます。
この部分もまたおかしな考え方だと思います。「さざ波」は共産党を民主的に改革することを目差しているわけですから、そういう議論の場です。保守政治家と激論をかわす場ではありません。
また、共産党に敵対する意見は掲載されないことになっていますが、それは議論の場としての性格であって、「表現の自由」や「言論の自由」という対権力関係の権利問題とはレベルがまったく異なります。共産党に敵対する意見は、他のサイトでいくらでも見ることができます。「『言論の自由』を最小限に見積もる」とは、どこのサイトであろうと、保守的意見は許さないということです。安易な混同は、相手につけいるスキを与えます。
makkieさんの意見は、敵対しなくても立場の相違が明確なら掲載しないでよい、ということだと思いますが、そうすると、編集部の方の独断や偏見が入ってしまい、公平さに欠けるのではないでしょうか? 立場の相違が明確だと思われる投稿には、それを指摘するか、はじめから相手にしない、それが少なくとも私の考え方です。