人間は労働の提供によって生活資金を得て生きています。不況を理由にリストラで職を失わせる行為は、殺人行為に等しいと思います。現に生きる糧を無くした多くの自殺者は、それを物語ります。
国民を自殺に追い込みながらも、国の税金の手助けで生き延びる企業。これは間違いです。少子化を心配する中、経済不況の自殺による人口の減少も有ります。
狭い国土の日本だから、人口はもっと少ない方が良いと思います。私は、少子化を心配するより、経済不況による自殺者の事を強く心配すべきです。この自殺者は、悲惨な阪神淡路大震災が、年に数回、或いは、ジャンボジェット機が、年に数十回が墜落事故を起こしているようなものです。
以前にも書きましたが、通貨価値の違う外国に合わせるのには無理があると思います。日本の国民が一人幾ら稼げば、文化的な生活が出来るのか算定し、国民の最低給与を国が法的に決め、国民の全てが労働に着けるよう、企業に人数を割り当てる事は、必要と私は思います。
現在の競争は、優位な能力が無い限り、人も企業も生きられないのが現実です。企業の規模によって、雇用人数を割り当て、割り当て人数に満たない場合には、不足の人数分の労務費を国に納め、国がその費用で雇用をすればよい。
それは、大企業と中小企業の競争力の格差をも無くせる筈です。
今は、辻本議員の問題が話題になっていますが、労働の場で問題を起こすと、最悪は免職になります。労働者には、免職は死罪に等しいもの。人材に裕福な企業ほど、解雇の言葉を脅しの道具にするようです。零細企業ではその逆で、従業員の辞めるの言葉が企業への脅しとなるわけだが、
現実、雇用の場では買い手市場。法律で労働者を守らなくては行けないのです。
企業内で問題を起こしたら免職させれば企業はそれまでかも知れません。免職で、失業したものは、再度まともな仕事に就くことは不可能に近くなる可能性も有ります。それは、社会に悪を蔓延らせる事にもなります。
企業の解雇権をもっと厳しくする必要が有ると思います。
辻元議員の辞職問題は早過ぎると思います。
法律は、疑わしきは罰せず。また、法に反しても善意、悪意の違いが有ります。
悪法も、また法なり、誤った法律でも、法である以上、守る必要は有ります。その疑問を抱く法律、その落とし穴に、はまった感じの違法行為にも思います。知らぬ中での法律違反は善意。情状酌量の余地は有るはずです。
鈴木議員は、悪意を感じ、質は違います。辻元議員は、参考人招致も証人喚問も無い内に辞職が先と言うのは、不快感を感じます。ただ、辻元議員は、嘘を言ったことは、鈴木議員に対しての、嘘つき発言を言った人の取る行為では無いと思います。
それぞれの議員は、比例区を除き、国民が選挙で選んだ代表者です。国会内で辞職勧告決議による辞職は、国民の参政権を軽視していると思います。
それより考える事は、辞職議員にも、補欠議員にも年俸が支払われるとの事。余分な税金の無駄使い。また、選挙でも多額の税金が使われます。
企業も以前は、一人の人材を得るのに多額の費用が掛かると言われたが、簡単に解雇する現在の企業は、人材獲得に、多額の費用を掛けていないと言う事なんだろうか?
社会人に取っては、職を失うことは死の崖っぷちに立つ事。終身雇用制が失われつつ有りますが、解雇禁止法は、文化的生活を営む上で必要不可欠。やむを得ず解雇する場合には、生活保障制度を適用すべきです。
国の責任を感じられない雇用保険制度は、役立たずの保険。職業選択の自由も、一部の人にしか適用されない現実。雇用の安定無くして、景気の安定無し。
解雇に関しては、簡単に認めてはいけないと思います。