この掲示板で、辻元さんへの擁護論と攻撃論が2分しているようです。江東江戸川総支部に(まだ)所属する新社会党員です。
辻元議員の秘書給与事件の違法性を語り、その背景ともなっている現在の秘書制度の矛盾をとりあげたうえで、なお且つ、その違法性のみを理由にした、辞職やむなし、辞職当然論には、まったく納得がいきません。違法行為が、すぐに議員辞職に結びつくということになるのでしょうか。その違法行為の、自覚性、国民生活への影響など、内容に応じて考えなければならないのではないでしょうか。違法行為を一切しなくても成り立つ個人や政党は、それにこしたことはありません。どうぞ、頑張ってください。しかし、そこまでの精錬潔白な個人や団体の存在を、わたしは疑いますし、仮に存在しても、信頼しないでしょうね。そして、そうでない、小さな違法に手を染めてしまった(しまわざるをえない)個人や政党を、非難し、孤立させ、つぶしてしまってよいのでしょうか。辻元さんほどの政治家を、今、国会からなくしてしまって、よかったのかということです。
50歩100歩という言葉がありますが、50歩1000歩を峻別することこそ、今の日本の政治改革に必要ではないのでしょうか。こんなことを許していては、いつまでたっても、政・官・財の支配体制をつきくずす力は育てられませんし、民主的変革のための多数派は形成できません。辻元さんの秘書給与事件と、共産党の秘書給与処理と、そんなに大きな差があるのでしょうか。寄付手続きをしたか、名義借りでなかったか、ということ「だけ」の違いですよね。それを違法といって、その違法性は、議員辞職せねばならぬほどの重大性がありますかねえ。
下司の勘ぐりかもしれませんが、国民の多くは、小悪に手を染めて生きていると思います。その小悪ゆえに、政・官・財の大悪にとり込まれる必要はないのではないでしょうか。
いやらしい言い方ですが、辻元非難をしている方々に言いたい。そんなに立派に生きてみえるんですか。仮にそうだとしたら、余程の特権層なんでしょうね。
尚、辻元さんの政治的な経歴を挙げて、信用できない、とか、社民党の枠の中とか、非難している方がみえますが、まったく同じ、「狭量」としか思えません。辻元さんの「限界」をあげつらって非難することより、辻元さんの国民にとっての「力」を守ることを、なぜ、考えられないのでしょうかね。