少し古い話になってしまいましたが、昨年十二月に海上保安庁巡視船が「不審船」を射撃し沈没させた事件について、日本共産党は、一月二十八日、ようやく「見解」を発表しました。しかし、なぜ事件からひと月も沈黙したのでしょうか。沈黙は黙認ととられてしかたありません。
ところで、一月二十八日に志位委員長が発表した「不審船問題についての見解と提案」には、「不審船」を射撃し沈没させたことそのものに反対する言葉はひと言もありません。そのうえで、海上保安庁の対応の問題として取り上げているのは次の二点です。1、領海と排他的経済水域は区別すること、つまりは、領海ならば武力行使は認められるということです。2、排他的経済水域での武器使用は、国際法上の根拠を欠いているということ。だからといって、武器使用をやめるべきだといってはいません。「必要なルールづくり」を提案しているのです。このことは、たとえ、有事体制づくりに反対しているのだとしても、今の政治情勢では有事立法論議に呼び水を提供するものでしかないのです。
ところで、そもそも「見解と提案」では「不審船」の出没は、「わが国の安全と秩序にとって、放置できない」と述べています。はたしてそうでしょうか。
今回の事件は、米軍からの情報提供を受けた防衛庁の指示にもとづいて、海上保安庁の巡視船が中国の排他的経済水域にまで入って「不審船」を撃沈したというものです。この意味を考えるならば、「不審船」事件は、アメリカが、イラクとともに北朝鮮を「悪の枢軸」と名指しし、「対テロ戦争」の拡大を狙っていることとの関係抜きには考えられません。そして、アメリカに協力してアフガン戦争に自衛隊を参戦させた小泉政権は、まさにアメリカ・ブッシュ政権の意を受けて、おそらくは北朝鮮のものと思われる「不審船」を銃撃のすえ沈没させたのにちがいありません。
憲法九条は、「武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と宣言しています。今回の事件での日本の対応は、この条項を踏みにじるものであり、決して許せません。「海上保安庁による警察行動」という名目で容認するわけには行きません。
全労連「2002国民春闘白書」は、日本が「平和憲法を投げ捨て、日本を再び好戦的に国に変えてしまうかどうかの、さらには、日本社会が徹底してアメリカに収奪されつくす事実上の植民地へとつくり変えられてしまい、教育の荒廃や社会不安が国民的な活力を失わせるまでにすすんでしまうかどうかの瀬戸際にたたされている」と述べています。ここで云われているように、安保同盟を結んでいるアメリカと自民党政権こそが危機の根源なのではないでしょうか。敵を見誤ってはなりません。
もちろん、もし北朝鮮による軍事挑発や不法行為があるならば、断固として抗議しなければなりません。しかし、日米安保問題を問題にしないで、あるいは、日本の側が平和憲法を蹂躙していることを問題にしないようでは、抗議したとしても道理も道義も通りません。
ところで、、この「不審船」問題以外にも、最近の共産党執行部の見解について、落胆させられるものが多々あります。
そもそも、共産党は、昨年の十月国会に提出された「海上保安庁法改定案」に賛成しました。海上保安庁の装備強化と武器使用の緩和を盛り込んだこの法案に賛成したことは、党の歴史に泥を塗り、党を支持してきた国民大衆を落胆させる一大汚点といわなければなりません。
また、テロ問題についてです。全労連「2002国民春闘白書」は、テロを地球上から追放していくためには、それを全体として問題にする必要があるのであって、実際、たとえばイスラエルによるパレスチナ陣弾圧を黙認しておいて、パレスチナでのテロを非難しても説得力を持ちえないであろう。唯一の超大国となったアメリカの覇権主義行使に、テロリズムとしての側面がないかどうかというのも、大きな問題である」と述べています。道理の通った見解だと思います。ところが、「今度の問題が、パレスチナ問題など、中東の多くの問題といろいろな関係があることは、よく知られています。しかし、私たちは、中東の政治問題が解決しなければテロ問題が解決しないという形で、二つの問題を結びつける態度はとりません」と正反対の態度をとったのが、昨秋の三中総での不破議長だったのです。これには同意できません。超大国の覇権主義的な暴力を不問に付していては、「権力や覇権に反抗する側からのゲリラ的な暴力行為」としてのテロを解決することはできません。これでは、本当に平和を願う良識ある国民の理解も得られないのではないでしょうか。