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3月28日のyoshi、さんへ

2002/4/3 文鳥、ヘルパ-

 結局貴方達って? の文章を読みました。悲しいぐらい腹が立ちました。
 その気持ちを書く前に、私が3月22日付けで「闘う国労闘争団の皆様へ」出した手紙をここに書き記します。

闘う国労闘争団の皆様へ
 先の見えない不況のなか闘争団並びにご家族のご苦労は大変な事と心配しています。2月分の闘争支援カンパが遅れてしまい申し訳なく思います。私事ですが共産党との裁判(内容はホ-ムペ-ジを見てください、アドレスは下記に)が終了してから、夫の体調がすぐれず心配していた矢先、狭心症から心筋梗塞を併発し入院をしてしまいました。幸い命は助かりましたが働けない体になってしまい、今後の生活のめどが不透明になりました。16年闘争(ラジオ関東「磯田・碓氷事件」)を労働組合と共に必死に闘った結果がH・Pの通りですので、何を信じたらよいのか解からなくなっています。私達の絶望的な痛みは闘う闘争団の皆様ならわかって頂けると思います。少しでも毎月送ろうと算段してみましたが、夫が働けず、老齢年金の収入(16年争議の期間が国民年金のため少ない)だけとなり、毎月のカンパ振込みが難しくなりました。遅れました今月分が定期カンパの最後になります。今後は僅かでも都合できたときにカンパの協力を致しますのでご容赦ください。またNEWSはホ-ムペ-ジを見る事に致します。闘う国労闘争団の集会など行ける時に出かけて行きます。私自身ヘルパ-をしていますが、なんの身分保障もないパ-トであり労働運動がこのような情けない状態になり歯痒く思っています。
 私達16年争議の期間を越える、闘う闘争団の長い闘いを思う時心に痛みがはしります。闘争団・家族の皆さん!がんばって下さい。
 尚、2月分2000円を同封致しましたので、ご受納下さい。
 URL=http://www2.odn.ne.jp/~aao28960
02年3月22日

 何故この手紙をここに載せようと思ったのか? それはyoshi、さんの文章を読んだからです。Yoshi、さんのような若い方が党で活躍する事は良い事なのでしょうが、一面的にしか物事を見ようとしない、そして心の優しさを感じさせない文章に言い様も無い悲しみと怒りがあります。
 共産党との裁判中から夫の体は参っていました。70歳を前にして泊まり勤務はとても辛く、私が夫を裁判に引きずり込めば必ず体に負担をかけることになるであろう。と思っておりました。それであっても共産党(議員を含め)が私達家族にとった態度は許せない。それほど酷いものでした。
 Yoshiさんは話し合えと言うけど、その話し合いすら拒否されただけでなく、罵倒、無視、そんな態度はあたりまえの如くされつづけました。そんなに言うなら「裁判にしろ」と言い、それではと裁判にすれば「全く異常な裁判を起した」とビラに書かき平然としている。
 辛酸さんの事をあのように書いていますが、辛酸さんは党に残り一生懸命訴えているのです。立ち上がれないぐらい体に、心に傷を負った方(家族を含めて)の気持ちが貴方にわかりますか?
 そして辛酸さんは党員なのです。もし裁判など起したら即除名でしょう。辛酸さんは自分に落ち度が無いから党に残り訴えつづけているのです。
 念の為私達家族は党員ではありません。一般国民を共産党員(共産党議員)は一方的に傷つけたのです。
 私の娘も共産党の態度に深い傷を負ってしまいました。私は夫が倒れた時(命が危なかった)「さざ波通信」さんに、夫が死んだら私の死に場所は共産党中央本部だと書いた文章を送ってしまいました。
 「さざ波通信」から私の気持ちをきずかったやさしいメ-ルをもらいました。どうしてもというなら文章を載せますが、という事でしたが、確かに私の文章は感情的でありすぎましたので文章に載せる事は止めましたが、共産党の中央がこの様な誠実な対応をしてくれたら、私たち家族は救われたと思っています。
 16年闘争で年金が少なく生活保護の申請をするようになるのも時間の問題だと考えています。
 私達はそれであっても、国家権力、資本家、を相手に組合と共に仲間を裏切る事無く16年闘ったという誇りがありました。日本共産党はそれさえも打ち砕いてしまいました。
 そして今回3月15日付の毎日新聞で志位氏はこの様に述べています。
 自民党の鈴木宗男衆院議員が外務省の課長補佐に暴力を振るった問題に触れ「暴力は言語道断だが、今までこれをもみ消し、表に出さなかった外務省も異常。公務員には告発義務があるのに、傷害事件を隠したのは大間違いだ」と言っている。これでいくと私達が「性暴力に起因して更に人権侵害を受けた」との訴えに対して関係議員がもみ消した事はどうなるのでしょうか?
 このことに対して今テレビで活躍してる共産党、佐々木議員、筆坂議員の事務所に電話しましたが、その応対の悪さは酷いものです。特に筆坂議員秘書は「訴えればいいじゃないか」と言って話しの途中で電話を切ってしまいました。この態度は平成7年、私たちが問題提起し解決を求めた時から何も変わっていません。
 その様な中で「さざ波通信」さんに載せていただけた事により、私達家族は孤独にならず、また私たちの文章を読んでくださった方々にも助けられました。

 尚、闘う国労闘争団から丁重なお手紙を頂きました。