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一般投稿欄

あらためて日本国憲法について

2002/4/19 makkie、30代、塾教員

 Paul様、レスポンスをありがとうございます。励ましをいただきうれしく思うと同時に、恐縮しています。
 さて、日本国憲法を取り巻く環境が一段と厳しくなっています。特定の思想をもった人々に憲法が遺棄されようとしているというよりも(このような状況も厳然としてありますが)、この投稿欄にもちらほら見受けられるように、国民多数の気分といいましょうか志向といいましょうか、そういうものが必ずしも日本国憲法の目指すところと合致しなくなっているのではないか。私は最近の政治状況、社会状況からそのような危惧を抱いています。
 古くは、自衛隊法、破壊活動防止法、近年は、PKО法、公職選挙法の改悪(小選挙区制導入)、周辺事態法、脳死・臓器移植法(これは見解が割れるかもしれませんが、私はそう思っています)、少年法の改悪などの法律が、憲法の文言(あるいは、憲法が目指す“人類の普遍性”)とかい離したまま成立してしまっています。
 私は憲法改悪(不覚にも前メールでは“改正”としてしまった)にも危機感をもっていますが、1946年以降、日本政府やその政権担当者、最高裁判所(違憲立法審査権の発動する場面が何度あったことか)が、事実上、一貫して憲法を無視し続けていることにも大きな怒りを感じます。
 同様のことが今国会でまたしても行なわれようとしています。メディア規制の3法案、そして、有事法制がそれです。私たちは憲法を一般の法律(すなわち、現在の日本国の社会状況、政治状況)に近づけるのではなく、日本国憲法の目指すところに向けて一般の法律を整え直す(社会や政治の状況を変える)必要があるでしょう。
 ただし、その際に考えなくてはならないのは、これらの悪法を提出する側も、悪法が憲法と真っ向から対立するものとして呈示するわけではない、という点です。「人権の保護を目的に」とか、「生命と財産を守る観点から」とか、「平等の観点から鑑みて」、あるいは、「憲法の精神に則って」などと理屈をつけて世論に訴えてくる。典型的には、PKО法のとき、それから、今度のメディア規制法案もそうでしょう。 「どの口が言うか」と思うほど、いけしゃーしゃーと悪びれる様子のない理屈の開陳には呆れると同時に、これほどまでに主権者である国民はバカにされているのだと、非常に腹立たしく思います。
 とはいえ、日本で日本国憲法の目指すところのものを、正当に具体化しよう深めよう実現しようとすることは非常な困難をともなうものでもあると思います。しかも、しばしば、そのような主張(活動・運動)は、政府からだけではなく、国民自身からも無視されたり拒否されたり、おかしな人と思われたり、容易に忘れ去られてしまったりするもののようです。
 朝日茂さん(朝日訴訟原告)の主張、中谷康子さん(靖国神社合祀訴訟原告)の主張、大石又七さん(第五福竜丸乗組員)の主張、山口仙二さん(日本被団協委員)の主張などなど、近年では、JRや東芝や日立や沖電気や東電で就労差別と闘っている人々もまたこれらの人々の系譜に連なるでしょう。
 そして、これらの人々に加え、いや、もしかしたら、これらの人々や団体(運動)ほどにも知られることなく抑圧と孤立を強いられながらも、闘い続けている人々こそ、日本国憲法を正当に深める思想を持ち合わせているのかもしれません。私はそう確信します。