江東江戸川総支部に(まだ)所属している新社会党員です。
安保論争にちょっとクビをつっこみます。言うまでもなく、新社会党は、護憲非武装中立を党是としています。わたしも、そうできればいいなと思います。しかし、そうでない人たちや政党がすべて反動とはまったく思いません。アメリカのベトナム侵略など歴史的な事実を見れば、悲しいことに体制の如何を問わず、侵略行為・残虐行為は発生しているのであって、そのことに対して最低限の自衛権を主張する人や政党の存在は十分理解できるところです。そういう人たちや政党とは協力すべきであり、反自・公・保政権において、どのような安保政策を採用するかは、時間をかけて煮詰めていけばよい問題だと思います。このあたり、頑な態度に終始する新社会党は、セクト的と言わざるを得ません。護憲の本家と言いながら社会主義を掲げ、非武装中立と言いながら武装革命のキューバや重武装防衛?国家北朝鮮と友好関係を維持する。そうであれば、少なくとも、国内政治においても、われわれは非武装中立を主張するが、専守防衛派の主張と存在も認めるといったスタンスが必要でしょう。
しかし、更に理解できないのは、護憲や非武装中立の主張を「非現実的」と論難する人たちの多くが、その大前提を日米安保や対米従属においていることです。日本の国(民)益を、無前提的にアメリカに委ねてしまっていることがおかしいのです。実際、経済問題でも環境問題でも社会問題でも、日本とアメリカの利害はするどく対立する局面があるわけですし、現在のところ、その対立の局面で、日本政府外務省の立場は、対米追随いっぽんやりです。これでは、安保問題を語る資格はないと言わざるを得ません。
アメリカの後ろ盾なくして、日本が防衛できるか、軍事大国化を目指すのか。目指してはなりません。もし、アメリカの後ろ盾がなくては日本の防衛が不可能、と断じるのであれば、最初から日本の防衛を語る意味はありません。対米従属以外の道がないと言っているのと同じことですから。そもそも、アメリカに対して日本の防衛を放棄した考え方と言わざるを得ません。侵略の現実的な可能性がない状況においては、日本は軍事力を削減し、自衛隊の民主化を推進していかねばならないと思います。ここにおいて、はじめて、専守防衛派と非武装中立派の政策論争が意味を持ってくると思います。