漫才の中で、「赤信号みんなで渡れば怖くない」と言うフレーズが有りました。これは、ブラックユーモアと言われるものです。これは、お笑いの中に、現実に行なわれる事を、警告する意味も有る訳です。
現実はと言うと、「悪い事、みんなでやれば怖くない」と言うふうに感じます。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」これを振りまいたのは、ツービーのビートたけしですが、暴力事件とかおこしつつも、映画監督として栄誉を得ています。放送メディア上では、英雄的存在です。
放送メディアでは、タレントの不祥事が多発。問題なのは、放送で演出とは言え、タレントの乱暴な言葉、暴力的なドラマ。これらは、社会に浸透しやすいもの。社会に悪影響を与える可能性の有るものは、十二分な対策が必要と思います。
暴力的なドラマも、社会の警告には必要な事。映画などは、後から解説が有りますが、ドラマは垂れ流し状態です。暴力的ドラマは、フィクションとしても訴えたいことが有るはずです。社会に警告が有れば、それを訴えるような解説の場を置く必要が有ると思います。
タレントの世界は、多くの人に影響を与える世界で有り、裕福な世界と思い、その世界を目視する人も少なくないと思います。タレントをはじめ、公人と言われる人の不心得には厳しい目で見る必要が有ると思います。
マスコミによって、政界の印象も作られ過ぎて居ないかと、思います。それは、支持率も中身のない人気投票にも感じます。困ることは、見つからなければ、どんな悪い事をしても良いと言う暗黙の了解にと言う事が有るとすれば最悪。問題です。
「悪に上下の隔ては無し」これは桃太郎侍の一ゼリフですが、悪い事は、些細な事でもやっては行けない事、再認識すべきです。
悪い事はしないと心得ていても、誤ちを起こすのも人間。悪い事は悪いと反省して再度しない事です。だからと言って、反省すれば、悪事を働いて良いわけではない。
「悪法もまた法なり」ですが、悪法であっては行けない筈です。小泉内閣は、構造改革を訴える中、内部の不祥事で、変化が見えません。構造改革の前に政治改革ではないかと思いますが、政治改革を利害の直接影響のある政治家に任せても無理。
政治家に対する規則は、選挙制度も含めて、国民の意志がより反映できる、外部で作る必要が有ると思います。
構造改革も必要ですが、即必要なことは、現実的な雇用対策、そして、その後は政治改革です。構造改革はその後です。政治家は、国民の利益を最大に考えるべき。そして、多数決より何が悪で何が正しいのかを、良く見極めて欲しいものです。