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一般投稿欄

憲法論を今こそ(5月30日付けRKさんの投稿によせて)

2002/6/1 大塩平七郎、50代、労働者

 30日付けRKさんの投稿で、「有事関連三法案に反対する学者・研究者共同アピール」が紹介され、疑問が呈せられました。
 私も、早速日本科学者会議のサイトにて同アピールを閲覧しました。「なるほど、そうなっているのか」というのが読んでまず浮かんだ感想です。前文や第九条をふくむ総体としての日本国憲法の平和主義が後背にしりぞいて、もっぱら、アメリカの軍事行動に追随する政府与党を非難し、国民動員の非民主性を指摘することに批判の視座が置かれています。
 さて、このアピールの性格をどう考えるか。次の5つがさしあたり可能性として考えられましょうか。①一部の動揺層(政党でいえば民主党)をも巻き込んだ幅広運動のための自制的論法。②国民の即自的観念にも入り込めるよう、口当たりを良くした政策的論法。③研究者最大動員のための政策的論法。④日本共産党の自衛隊有効論を念頭に置いた、党員研究者による自己規制的論法。⑤日本国憲法の非武装平和主義理解に関する研究者自身の学力崩壊。
 こうした種類のアピールに往々にして見られるところは、③のような政策的配慮です。加えて、本アピールが「政党の中には、有事法制それ自体は必要だと主張する政党もある。」と言及していることから窺えるように、①や②の意図も織り込まれていると見ていいでしょう。また、日本科学者会議をはじめ、名をつらねた呼びかけ人の所属団体をにらみあわせると、これらの団体の日本共産党への親和力が希薄とは言い切れませんから、起草者の頭の片隅に④のような配慮が皆無ではなかっただろうと忖度(そんたく)できそうです。ところが、不幸なことに、本アピールの論理を追って行きますと、どうも<分かっちゃいないな>と疑わされる文言に次々に出くわします。つまり、⑤の可能性もありえるというわけです。
 以下、指摘の都合で、断片を文脈から切り離して引用しますので、公平には、各自原文に当たっていただくようお断りをした上で、次の文言を挙げておきましょう。

「もし、この法案が国会を通るようなことがあれば、日本の安全を守るために役立つどころか、逆に、世界とくにアジア・太平洋地域と日本の平和に大きな脅威をもたらすことは間違いない。」
「この法案は決して政府のいうような「攻められたときに」いかに対処するかを定めたものではなく、かえって、日本がアメリカに追随しアメリカの行うグローバル秩序維持のための軍事行動を後方支援するために国民を動員することをめざした法律であるという点である。」
「このように法案は、日本に対する万一の「武力攻撃」に備えるどころか、逆に世界の戦争を拡大し、ひいては日本への「武力攻撃」を招く危険性をもつくりだすものである。」
「日本の戦争状態への突入の可否や国民の動員態勢を決める重大な決定を主権者の代表たる国会の審議抜きに、ごく少数の閣僚で実質的に決定するような手続きが、民主主義の根本的な蹂躙であることはいうまでもない。」
「しかも重大なのは、地方自治体の命運にかかわる事柄が、まともに自治体の意思を問うことなく決定され、自治体はそれに強制的に従うことが命ぜられる仕組みである。これは、国の戦争行為に直接影響を受ける地域住民の意思を問うことなく、当該地域を戦争協力に動員するものであり、憲法が想定する地方自治の理念にも反するものでとうてい許されるものではない。」
「法案が、日本が武力攻撃を受けた事態ばかりでなく米軍の軍事行動への後方支援の際にも「武力攻撃事態」と認定し法を発動することをねらっていること」
「政党の中には、有事法制それ自体は必要だと主張する政党もある。しかし、今回の法案は、上記のように、日本が外国から武力攻撃を受けた場合に備えることを目的としたものというよりはむしろ、米軍の軍事行動の後方支援に自治体、民間を動員する文字通り「戦争態勢」づくりのものである。もし法案が、ほんとうに武力攻撃を受けた場合に備えるためなら、「武力攻撃事態」の定義は、「武力攻撃が発生した事態」に限ればよいし、また実際に武力攻撃が発生するのは地震や災害と違ってそれ以前から長い紛争期間があるため、武力攻撃事態の認定については国会で十分審議可能である。また地方自治体についても、当然当事者として決定に何らかのかたちで参画する手続きがなければならない。」

 この文言やその文脈からすると、<日本の安全を守るために本当に役立つ><本当に攻められたときの対処を定めておく><日本に対する万一の武力攻撃に本当に備える><日本が武力攻撃を本当に受けた事態のばあい><日本が外国から武力攻撃を受けた場合に本当に備える>ためには、<国会や自治体の意思を確かめる手続きさえ踏めば><軍事力を行使することも可能であり有効でもある>との裏返しの言説を見て取ることも、あながち言いがかりあるいは揚げ足取りとも言えないようです。
 少なくとも、日本国憲法の非武装平和主義が本当に身に付いていれば、多数派形成の政策的配慮を盛り込んだとしても、これほどの隙だらけの文章は起草・承認できるはずはないでしょう。無残にも、学力崩壊は学会をも覆っているようです。
 24日の明治公園での集会を見ても、普通の市民グループの宣伝やアピールの方がはるかに健全で、日本国憲法の平和的生存権を体していたように思えます。
 法案の矛盾を指摘批判することも必要でしょ。しかし、軍事力について一片の有効性も認めていない日本国憲法の平和主義を棚上げするようなことがあってはなりません。コイズミの「神学論争」なる揶揄に屈して、我々が憲法論争を自ら回避してしまってはならないでしょう。運動の推進には、根底的な批判が不可欠です。
 憲法論争は「国民」にうけないなどと考える向きは、信念のない一握りの共産党幹部だけにして欲しいものです。