<理論・政策・歴史>欄6月22日付桜坂智史氏の論考に関連して
桜坂氏は、この間、さざ波通信の内外で、「新日和見主義」事件および84年原水協事件をおもな考察対象として、真実の探究および和解に関して提起をおこなっています。
その考量のすべてを読んだわけではありませんが、私も当該問題について、同様のわだかまりをかかえています。尤も、新日和見主義事件に関しては、典型的な粛正をこうむった民青および全学連に関するくわしい情報は持ち合わせてはいません。
平和委員会や原水協方面の関係者からたまたま得た証言によれば、73年の日本平和委員会全国大会で、故熊倉啓安事務局長が突如「自己批判」なるものをおこなったことが話題になりました。大会代議員の多くは当時何が「それほど」の問題であったのかじゅうぶんには了解できなかったのが実情だったようです。この全国大会では、すでに発行されていた日本原水協編集になるこの年の「原水爆禁止世界大会討議資料」が急遽回収・差し替えの措置がとられたことが関係者に記憶されています。この変更内容については、新旧両版を読み比べてみても、どこが「新日和見主義」なのか不可解な代物です。
84年の事件に関しては、桜坂氏が「JCPウォッチ」で孤軍奮戦しているのを傍観していました。一つ資料を紹介すると、山口勇子著『にんげんの鎖』(上下2冊、新日本出版社1989年)というプロパガンダ小説があげられます。党中央からのながめによる事件の描出が読めて興味深いものです。ここでは、日本原水協代表理事Y氏が卑劣な策謀家として、また、古在由重氏に擬せられた「博士」が戯画化された頑迷者に仕立てられていて、山口氏の党への忠誠心が遺憾無く発揮されてため息が出ます。
さて、73年・84年両事件で指弾すべきは、日本共産党が、市民団体(「大衆団体」なる用語は、「前衛」「階級政党」が使う傲慢な用語ですから不適当と考えます)の論理と民主主義を無視して、不当な人事介入と引き回しをおこなったことに尽きるように思います。あれこれの弱点や過誤がたとえあったとして、その解決を市民運動自身の復元力に頼らずに、「党の正義」で取り仕切ろうとするスターリン主義的気風・宗派的独善です。しかも、昨今の党が見せる錯誤の連続とそれを総括もできない無責任さが、この独善と今なお結合したままなのですから始末におえません。
桜坂氏は、「真実と和解」に一縷の望みを託していらしゃるように見受けられますが、市民社会の埒外にあって宗派的独善に耽るこの程度の党(党中央権力)から「名誉回復」されても浮かばれる人はいないでしょう。もちろん、経済的不利益のあった個々の事例に属す方々の場合は別としてですが。
さしあたり試みるべきことは、党内外で、公然と党中央の馬鹿さ(6月13日の憲法再生フォーラムで、主題は違うものの、金子勝慶大教授が「バカ」を連発していましたね)加減をジワジワと理論的にののしりまわることではないでしょうか。向きになって反論する奇特な党員がいれば、大歓迎して市民の中で(党組織の密室の中ではなく)議論してあげればいいでしょう。
党から禄を食んで(市民党員から搾取!)暮らしている議員や役員さんには不可能でお気の毒でしょうが、一般の市民党員にとって、除名除籍を怖がる必要はまったくないと思うのですがいかがでしょうか。党以外に行き場所がないほど市民社会は狭くないはずです。「党再生」のためにも、有害無益な幹部=「天皇」を戴いて党員の倫理を守るだけが、歴史と「大義」に対する誠意ではないと思うのです。