高橋さん、どうもありがとうございます。私は、国忠崇史さんの「真実と和解委員会の構想」を党員欄で以前読み共感をもちました。
私が言う「真実と和解」とは、日本共産党と和解するという意味ではありません。政治は憲法に違背する法案を次々に可決し、日本社会が新しい管理型軍事大国路線をひたはしる今日、対抗勢力の力量は60年安保から比較すれば、桁違いに落ちています。
いま政党としてその大国路線に抵抗しているのは、共産党と新社会党、社民党くらいでしょう。しかも社民党は国政でも地方でも与党であることもありまして微妙です。
市民運動は創意をこらしていますが、それなりの苦境もかかえています。
今日的状況下で、国忠さんも(彼も私も決して相談してもいないし観点もかなり違いますが)私も、戦後社会で、日本共産党から追放されたり除籍されたりした運動家の名誉回復と共産党の自己批判がなされ、ともに反軍国大国国家路線の大道を、意見の相違を許容しあいつつ、レジスタンスにおいては共に闘うことを、共闘の円卓につくことを望んでいるのです。
これは現実政治運動ではなまやさしいことではありません。それでも、もしこの程度の共闘さえくめないなら、国民的規模での抵抗勢力の結集は殆ど無理でしょう。
私は1973年ごろの新日和見主義事件も、1984年の原水協問題も、戦後社会に欧米でいう市民社会に対応するような市民の成立が畸形的に見られ、そのために「市民社会と社会主義」の実体が成立しつつあった、それゆえ日本共産党のきわめて民主主義的な部分から従来の組織論に埋没しない個性的な主体が形成されていった。そうとらえるようになりました。これはJCPウオッチでの皆さんの書き込みを読み討論しながら得た個人的感想です。
いま5・25や6・16大集会の成立は、徐々に国民の広範な結集をうんでいます。それが単線的に進行しているとは思いません。
でも、いまは国民のなかに生活危機ばかりか、生きる権利の全般的な侵害への怒りが高まっている。そのまっただなかにいる国民の大衆的理性に依拠して、少しでも平成版治安維持法成立を阻止し、広範な草の根からのこえを現実に活かす取り組みが求められている。
このように考えているが、高橋氏はじめ読者諸氏のご意見をお聞きできればと思う。