お返事ありがとうございますichitakeさん
ichitakeさんの仰るとおり、不特定多数の有権者の革新への拒否感のひとつが、この「コスト意識の欠如」なのです。革新が土木系公共事業は目の敵にする一方、福祉や医療、教育予算、公務員給与、などの無駄については、労働者、老人、子供の当然の権利といって、それを聖域化している限り、日常、コスト意識なかで生活している有権者の共感は全く得ないのです(しかし、勿論これは何も全てを効率主義、利益主義が良いといっている訳ではありません)。
逆に中道改革派が土木系公共事業の無駄だけでなく、福祉や医療、教育、公務員給与といったものまで、相対的に予算の無駄を見直し、例え財政難のため削減したとしても、より効率的に柔軟に予算を使って、今まで以上により良いものにしようという姿勢のほうが、有権者には、削減反対の連呼より、遥かに現実的で信用できるのです。
ところで、我々がこのような問題を論じている最中の6月23日、松戸市長選の投票が行なわれました。この選挙では与野党相乗り現職候補と反現職では、中道改革派2候補、革新1候補の3者分裂というパターンでおこなわれ、反現職票の総数という意味では現職票を遥かに上回りました。しかし、有権者は相乗り現職にNOを突きつけても、結果は単独獲得票では最多の現職の再選という歪んだ民意となってしまいました。同じ、反保守候補分裂であっても、今回は中野区長選のように反利権保守の勝利とはなりませんでした。
これ以上、せっかくの民意を水泡に帰させるような無益な戦いをしないためには、一刻も早く、全国の改革派保守、中道、革新の議員、団体、個人は、利権保守落選を最優先とした、首長選のための、統一した選挙協約と候補者選びのプロセスのマニュアルの作成を急ぐべきだと思います。おちあいさんように、「中道が共闘を拒否したのであり、革新候補の擁立は意義があった」というような悠長なことをいっていては、利権保守の益なっても、害にはならないのです。
PS ichitakeさんの所属する新社会党といえば、私が思い出すのが矢田部理氏です。私がこの人物を初めて知ったのは10年以上まえの「朝まで生テレビ」においてで、その時の彼の討論での、状況判断のできない空気の読めなさ、他者の意見に素直に耳を貸せない柔軟性のなさ、自説の正しさを主張するのみの偏狭さ、討論相手に対する態度の傲慢さを見て、「こんな人間的魅力のゼロの人間が前面に出ている限り社会党はダメだ」と思ったモンです。失礼ながら、そんな人物が幹部である現代の新社会党の惨状というのは、なるほど、さもありなんということなんでしょう。ちなみに矢田部氏がテレビに出なくなってから、似たような印象をうけるのが共産党の市田書記局長です(こういう人物達こそが有権者の革新アレルギーの元凶なんでしょうね)。