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佐渡沖不審船事件の茶番

2002/6/29 本間正勝、60代以上、なし

 周辺事態法に影響を及ぼしている、佐渡沖「不審船事件」には、多くの謎が含まれている。
 事件の発端は、「日本海周辺に国籍不明の船が居る」という情報だったという。
 不明とは、船名や船籍などが表示されていないか識別出来ないことを意味する。
 確認は視覚に依るから、同時に位置も定まっているのであり、日本海周辺というクイズ情報は奇怪なものだった。
 更に奇怪なのは、沿岸警備担当の海保を飛び越して、P3C機と軍艦が出動したことである。
 そして、何百も航行していたであろう日本船の内の1,2隻を、漁船型なのに漁具が積んでないという、通常なら仰天するような理由を「発見」して、4時間半後に海保へ連絡したというのであった。
 国家の担当責任者川崎運輸相は、不審だと認識した理由を三点挙げた。

  1. 船尾に日の丸の旗が掲げていないこと
  2. 漁船型なのに漁具が積んでいないこと
  3. アンテナが多いこと

●国旗を揚げていないと怪しいのか。
 国旗は船舶法施行規則に依って通常掲げる必要のないものである。
★船舶法施行規則
第五章 国旗及船舶の表示
第四十三条 船舶ハ左ノ場合ニ於テ国旗ヲ後部ニ掲クヘシ
一、日本国ノ灯台又ハ海岸望楼ヨリ要求セラレタルトキ
ニ、外国ノ港ヲ出入スルトキ
三、外国貿易船日本国ノ港ヲ出入スルトキ
四、法令ニ別段ノ定アルトキ
五、管海官庁ヨリ指示アリタルトキ
六、海上保安庁ノ船舶又ハ航空機ヨリ要求セラレタルトキ

第四十四条 船舶ニ表示スヘキ事項及其表示方法ハ左ノ如シ
一、船首両舷ノ外部ニ船名、船尾外部ノ見易キ場所ニ船名及船籍港名ヲ十センチメートル以上ノ国字ヲ以テ記スルコト  (以下 略)

 一目瞭然、従って官庁船を除く何千という日本小型船は通常国旗を揚げていないのである。

●漁船型だから、漁具を積んでないのは怪しいのか。
 漁船は、漁船法第九条に基づき都道府県知事が備える漁船原簿に登録されている。
 認可された証として、通常、船橋横に登録番号の表示を義務づけられている。
 それを辿れば、所有者、トン数、漁種、無線の種類などの情報が判る。漁船として不審があるなら、まず登録番号を確認するのが常道である。
 ところが、3月23日18時40分から行われた記者会見で、海事行政の責任者川崎運輸相が両手で示した写真の船には、二隻とも漁船としての登録番号の表示がない。つまり、漁船では無いのである。
 漁船でない日本船を名指して、偽装漁船と呼び、漁具を積んでいないのは不審、漁業法違反の疑いで点検するというとんでもない理由で、艦船18隻航空機12機(保安白書)を動員した。
 二隻の当該船は、漁船原簿で調べた結果、同名の船が廃船や操業中ということで、偽名だとされた。

●漁船名簿で抹消なら廃船なのか。
 船の登録は、船舶法に基づく船舶名簿が一義的で、漁船名簿は二義的なものである。漁船としての登録抹消は、廃船を意味しない。
 漁業制限などで、用途を運搬船や工事船に転換している船が、少なからずいる。廃船は、漁船名簿ではなく船舶名簿の抹消に依る。
 説明には、手品師のトリックが、使われているのである。

 漁船登録していない船を漁船名簿で調査したという欺瞞と併せて、船名しか公表していないというのには、大きい意味がある。
 船舶法に依って表示が義務づけられている船籍港、又は、漁船登録番号に含まれている、所属府県の記号が判らなければ、調査の手がかりが得られないのである。
 船舶は、2002年の今日未だデータ化されていないから、レーン上での検索は出来ない。調査は、港の無い県を除く全ての都道府県に照合委託しなければならない。
 端的に言えば、「大和丸は操業中」がウソであっても、他県のことは、船舶担当の職員であっても判らないし、バレない発表方法なのである。

 資料
(登録番号の表示)
★漁船法第十三条
 漁船の所有者は、第十一条第一項の規定により登録票の交付を受けた時は、同条第二項の場合を除き、遅滞なく登録票に記載された登録番号を当該漁船に表示しなければならない。 同項の規定により登録票の交付を受けた漁船の所有者についても同様とする。

★漁業法施行規則第十三条
 法第十三条の登録番号は、付録第二に定めるところにより付するものとし、その表示は、別記様式第十一号により船橋又は船首の両側の外部その他最も見易い場所に鮮明にしなければならない。

★付録第二(第十三条関係)
一、漁船の登録番号は、当該登録に係わる都道府県の識別標、漁船の等級標、横線及び漁船の番号を組み合わせたものとし、その組み合わせ例は、左の通りとする。
  TK3-1234
二、前号の例において頭書のローマ字は、当該登録に係る都道府県の識別標であって左の甲表に掲げる通りとし、ローマ字のつぎの数字は、漁船の 等級標であって左の乙表に掲げる通りとし、横線のつぎの数字は漁船の番号であって当該登録に係る都道府県ごと及び漁船の等級ごとに一貫番号で定められるものとする。 (乙表は、トン数等級  略)

 23日午前6時42分、哨戒機が不審船大西丸を発見、と報じられた。
 しかし、何をもって不審とし、何を発見したというのだろうか。
 積み荷が異様だったわけでもなく、漁船でないから漁具の無いのは当たり前、何百となく航行している外の小型船も国旗は揚げておらず、外見上何の変哲もない一隻を何で怪しいと報告し、発見というのであろうか。
 その奇怪な所作は、17:37から30分に亘って開かれた、小渕首相、関係閣僚による危機管理対策室の会議でも見られた。
 その中で野呂田防衛庁長官から、不審船が30ノットの高速であることが報告されたり、船を防空識別圏まで追うことを決めたというのである。(朝日)
 この会議をしている時間、当該船の速力は10ノット(保安白書)で、高速を出したというのは、新聞では19:00過ぎ、防衛白書では20:00過ぎなのである。
 その日本船が陸地の方へ戻ったり、点検を受けたりもせずに防空識別圏へ向かうことを、どうして知っていたのであろう。

 本来は海保の担当であるべき沿岸警備に、軍艦が出動してから20時間後、哨戒機が不審船?を発見?してから4時間半経って、初めて海保は連 絡を受けたという。
 動員された海保船15隻の中核とみられる「ちくぜん」が、当該船の後方2.2キロに達したのは、6時間後の18:30頃だったという。
 伊藤安保局長も野呂田長官もちくぜん船長も、出動理由を点検の為とした。「ちくぜん」は、そのまま進めば15分で点検行動に入れる位置に達するのに、何故かスピードを落としてそれ以上は近づかないのである。
 「ちくぜん」の到達時間発表が、目的の点検できる位置ではなく、何故2.2キロ後方だったのだろうか。
 月齢5の2.2キロの暗い視野、灯火を消している当該船の船影は、ちくぜん乗組員には見えなくて当然?!?!?!の距離だっただろう。
 闇の中で何か起こっているのか、いないのか、判らない状態。
 不審の船が56キロの高速だった(野呂田長官)のを見た者は、誰もいないし、レーダーに映る点は、友船かも知れないのである。
 そして、10キロ!!後方から射撃の様子をビデオに映す、愚弄の気配りを演じた。(防衛白書も読売も射撃後に高速逃亡とある)
 海保船が速力で対応できず、海自に要請、は全くのウソである。

 何の意味もない銃弾の浪費をしたあと、レーダーから船影が消えた、燃料が無いと、21:20、全ての海保船が言い合わせたように脱落した。(業務を担う船舶が、10時間程度の燃料しか積めないとは、欺瞞だろう 。それが証拠には事後銃器の装備は喧伝しても、当然のことながら必備に関わるタンク増設の声は全く無い)(ちっぽけな不審船が、19日に北朝鮮を出港していたというガセネタ記 事からの航行時間と比較すれば、マンガになるだろう。)
 国家保安を担う海保が総脱落した一大事発生後の21:30、官邸対策室で次官局長らによる実務会議が開かれた。 しかし、そこでは、緊急対策が協議されるどころか、お茶のみ話をしたあげく、23:30「もう少し様子を見るほかない」と、副長官局長らは一旦帰宅してしまったのである。(朝日)
 伊藤安保局長に至っては、23:00過ぎの記者会見で、『(海保船は)なかなか追いつけず、引き離されている状況だ………法律上、停船させて立入検査したい。仮に拒否された場合には、逮捕、だ捕したい。現状は海上保安庁の船が引き離されているので、引き続き追跡に努力したい』と放言したのである。(朝日)
 脱落してしまっている船で、だ捕したいと言うのである。
 停まって2時間も経ち、もう72キロも離れてしまっている筈の船の追跡に、努力するというのである。

 13:00から(防衛白書)、【追尾】している1200億円のイージス艦らは、手出しの出来ないストーカーに徹し、情報を取り合っていた(ちくぜん船長)という海保船が総脱落したあとも、我関せずの無意味な【追尾】を延々と続けていた。
 23:47官邸対策室の蜂の巣を突っついたのは、“海保船脱落”ではなくて、意味不明の“大西丸停まる”だった。
 「海保の現場到着までどのくらいかかるんだ」
 「3時間はかかるでしょう」(朝日)
 ここで、ようやく川崎運輸相は、立入検査大任放棄の儀式を行う。
 24日1:15 彼は記者会見して追跡断念と発表。
 海保の15隻すべてが追跡不能になってから、実に、4時間後のことであった。
 晴れの捕獲作戦を引き継いだ野呂田長官は、24日未明「どうしても停船させて立入検査するのが目標」と 述べた。
 その任務を取り違いたのか、現場の海自艦たちは、これまでの距離1~1,5キロから4~5キロに引き下がって、“射撃訓練”を始めたのである。
 そして戦後、ムクロ達に罪悪を詫び、9条で不所持を誓った爆弾を叩き込んだ。

 3:20大和丸 6:06大西丸追跡打切り。当日の日の出は5:40暗くなってからの夜仕事、明るくなってからの打ち切り。
   それは、まるで太陽に目視されるのを恐れる犯行のようであった。

海保船では追いつかず海自に引継ぎ、が全くの虚弁であり、逃げられたも、点検、だ捕の掛け声もゼスチェアだったことは、官邸対策室、海自、海保らの対応自らが証明している。
 “不審船事件”の発端は、先ず、“国籍不明船”???の米軍情報に始まり、そして、“不審船の逃亡先”は、海自のP3Cでは探知識別不能になり、行動を打ち切った(野呂田長官)15:30後のことであるから、これまた、米軍情報によるものであろう。

《 発端と結末は、米軍情報に拠る 》そこに、この事件の謎がある。
 注目されるのは、1998年11/20に、野呂田氏が防衛庁長官に就任したあと、12/10に、ペリー米国北朝鮮政策調整官(前国防長官)が来日して、浜田防衛政務次官と会談したこと。
 再び、ペリー調整官が、1999年3/10に来日して、野呂田長官と会談したことである。防衛庁が、沿岸警備を担当する国家機構、海上保安庁をカヤの外に置き、米軍の関与と同じく、《 発端と結末は、防衛庁に拠った 》という符号の一致を、なんと読むべきだろう。
 それは、アメリカの戦略に日本の国を丸ごと隷属させるに等しい動きと重なって見える。

 奇妙なことがあった。
 大和丸が操舵室上のマストに、日の丸の旗を一時表示したことである。それは、シナリオに依る傭船の目印として、【日本海周辺に国籍不明船がいる】というゴーサインとクロスしていたのではないか、そんな思いがする。