あらためて過去の投稿を見なおしてみると、選挙に対する意見に危うい感じを受けるものが多いのに驚きました。あまりに「勝つ」ことにこだわり過ぎるのは、「手段を選ばず」という方向へ発展してしまう危険をはらんでいると思います。もちろん選挙に当選するために知恵や努力を振り絞ることは大切ですが、その手法が本当に政治を良くするのか、長期的な目を持って考えることが必要だと思います。
特にひどいと思ったのは、前回の米大統領をひきあいに出した話です。「ラルフ・ネーダーが出馬しなければ、ブッシュが当選することは無かった。これは少数派のエゴだ」という趣旨の意見は、あまりにひどすぎると思います。そんなことを言ってたら、いつまでたっても共和・民主以外の清新政党が育たないことになってしまうではないですか。民主主義の元では、古く汚れてしまった権力に代わって、新しく清浄な権力を育てる義務を、有権者が担っているのだと私は固く信じているのです。その芽を「エゴだ」と断じて摘んでしまったら、何処に政治浄化の道を求めれば良いのでしょう。私はこの種の意見には強く反対します。
私が共産党を支持するのは、単純に言えば「資金源が独立してるから」なのです。それ故に既得権益やワイロと言った物から程遠く、税金という「公金」を一番無駄なく使ってもらえると思うからです。そして共産党が他の政党から目の敵にされるのは、他の政党は自分自身を、程度の差こそあれ「金に汚い政党」と自覚してるからだと思います。なあなあの馴れ合いが共産党には通じなく、そうした金銭の面で自分たちを攻撃できる潜在力を、忌々しく思っているためではないでしょうか。だから地方の選挙で、「共産党VSオール与党」なんて構図が生まれるのだと思います。
私は共産党に勝って欲しいけれども、その「金銭に対するクリーンさ」でもって、有権者に選ばれて欲しいのです。国政選挙で大勝した結果、他の政党も「独立した資金源を持たなければ勝てない」という認識に至り、全ての企業献金が廃止されて欲しい。そうしてから後、一時的に膨らんだ共産党がまた一野党になっても良いのです。重要なのは政治全体が浄化されることであって、「何処が勝った負けた」の問題ではないと思うのです。逆に言うなら共産党や野党連合が勝っても、妥協によって清新さが失われれば意味がないのです。
私は選挙を論じるときには、民主主義そのものを論じてもらいたいです。 そして今の政治の貧困が、「勝つ選挙」(落とす選挙?)で覆るのか、それを考えてもらいたいです。