江東江戸川総支部に所属する新社会党員です。わたし(と山本さん)の中野区長選に対する評価の書きこみにバビロンさんからご意見をいただきました。とても嬉しいです。有難うございます。
さて、その趣旨は、国民の中には革新臭さに対する拒否感があり、革新だけでは選挙に勝てない、したがって革新は(首長選では)候補者を立てるべきではない、とのことだと思います。
そして、中野区長選での革新候補の健闘を評価する、わたしや山本さんの意見を自己満足的なロマンティシズムでリアリズムのない夢想とおっしゃっているのだと思います。
わたしは、バビロンさんの書きこみの趣旨に基本的に同意いたします。徳島においての勝利は、民主党や市民運動との共闘が存在していましたし、中野区長選でも民主党・自由党・生活者ネットに勝てませんでした。現実政治を動かすためには、選挙で勝利することが極めて重要です。したがって、勝てる闘いをすることが絶対に必要です。少なくとも勝てる闘いを組織することが絶対に必要です。
わたしは、これを民主主義制度下における多数派戦略と名づけています。
ただし、いくつか考えなければならないこともあると思います。
・それは、反自・公・保なら、政策と共闘の質を問わないということにはならない、ということです。現在の生活者ネットなど市民運動・民主党・自由党との共闘は十分ありえます。しかし、わたしの中で石原慎太郎の線はありえません。政策の食い違いをどこまで保留でき、当面一致する政策でどう共闘できるか、その一致がよりましかどうかが決定的に重要です。
・わたしは革新の立場に身を置くものですから、よりまし共闘のなかに革新陣営の位置を作りだし、そのなかで自・公・保与党政権打倒の中核的な力を育てていきたいと思うものですが、しかし、そのためには革新の古い体質の打破は避けてとおれないと考えています。これをなしとげない限り、よりまし共闘のなかで革新の地盤は低下していくばかりでしょう。そして、その結果、よりまし共闘の中身は不断に右に引っ張られ、よりまし首長も保守化反動化する可能性が十分あると考えています。
・特に地方の選挙においては、バビロンさんの言うところの改革中道派が必ずしも、反自・公・保の政治姿勢をとっているとは限らないことです。ここでの課題も、やはり多数派戦略にもとづく、政治的分岐の作り方です。
・さて、中野区長選です。わたしがこれに参加し評価したのは、可能性として、勝利は革新系か改革中道派かという可能性が高い中で闘われ、実際に選挙結果もそうなったこと。勿論、生活者ネットや民主党・自由党との共闘は追求されるべきであったとは思いますが、前述した情勢の中では革新候補の擁立が誤りであったとまでは言えないと思います。むしろ、革新の陣営がなぜ、民主党・自由党・生活者ネットに勝てなかったのかを反省するよいキッカケにしなければならないと思います。
それから革新陣営の中では、共産党・社民党・新社会党の共闘が実現したこと、そしてこのような共闘が広がりつつあることを国民のひとりとして、また新社会党員として、嬉しく思い、高く評価し、更に促進するために運動したいと考えるからです。
そして、同時に、そのなかで、よりまし共闘を多数派戦略にのっとって追求し、市民運動、民主党、自由党との「自・公・保与党政権打倒」共闘へとひろげていきたいと考えているからです。
勿論、考えているだけでなく、党内外でこの主張を掲げて闘っています。
図々しい言い分とは思いますが、もし興味をお持ちでしたら、過去の書きこみもご参照ください。
*新社会党機関紙「週刊新社会」は、都本部大会の「反乱」を無視、1行のコメントも掲載していない。革新他党よりはるかに民主主義のある新社会党だからこそ、ここで更に民主主義を進めて欲しい。党員の下からのあれだけの意見こそ党の宝である。これを無視する一部の古い体質の党官僚が中央本部を占拠している。しかし、だからこそ7月全国大会の党員・代議員の反乱は不可避である。社会主義?綱領の採択を否決し、社会党への党名変更(回帰)を否決するために闘う。