投稿する トップページ ヘルプ

一般投稿欄

食糧自給率と「餓死」の話題

2002/6/16 澄空、30代、会社員

 以前、「一傍観者」氏(以下、B氏とする)が日本の食糧自給率が低いから、「もし日本がアメリカ経済を完全に断ち切れば、餓死者が出る」とする議論の飛躍について指摘したところ、いっこうに説明がないのでレスを打ち切りました。今回の投稿は、遅きに失するものですが、この主張自体について思いつくままに書いたものです。

 まず、日本の食糧自給率が食糧安全保障という観点からみて、異常に低い数字であることは周知の事実です。その政策誘導を行なった責任を負っている政府ですら、これを問題だとしているのですから、私たちに求められることは、いかにして日本の農業を守り振興させるよう声をあげ、食糧自給率を向上させていくかということです。
 ところが、B氏はこれを、日本がアメリカの戦争に文句言えない根拠としての「資料」としか考えていないようです。さらに、食糧自給率に関する別の方の投稿に対しても、何もせずに補助金もらえるような日本農業を改革することは「難しいでしょうね」などとぼやいて現状を絶対視しています。
 このいわゆる減反政策(補助金による作付制限誘導)は、日本だけでなく、欧米でも広く農産物の価格維持のために行なわれてきた政策です。減反政策があるから、農業を振興させるための改革が難しいという理由にはなりません。

 次に、B氏の主張で理解に苦しむのは、「完全自給体制」なるものを仮定されていることです。これはいったい何なのか? 言葉どおりの意味なら「完全自給」なわけですが、B氏が言いたいことはそれとは違って、現在の食糧・飼料の需要と現在の食糧自給率を絶対視したままで、その国内農産物だけで食糧を供給する場合、という意味でしょう。
 そもそも、現在の需要を絶対視すること自体、「市場原理」からみても間違っています。供給が少なくなると市場で予想されると、その商品の価格は上昇して、需要自体が縮小されます。さらに、日本の食糧供給は、国内生産分と輸入分に分けられるわけですが、それはどちらも日本経済による購買という行為の結果です。B氏のいう「完全自給体制」なるものがあるとすれば、それは、国外から食糧という「商品」を購入できない状態を指します。アメリカが日本との経済関係を断ち切るという行為に出たと仮定しても、それは他国から買えないという状態ではありません。資本主義世界の鉄則は、食糧と言えどもそれが「商品」である限り、それを買うことのできるところに売られるのです。それもできない状態とはいったい何なのか? B氏は少しも説明していません。資本主義の世界ではありえない仮定の上に、議論を組み立てても意味がないのです。
 たとえば、冷戦時代の米ソ関係を振り返ってみましょう。79年にソ連がアフガニスタンに侵攻すると、アメリカはソ連に対する穀物の輸出禁止政策を取りました。その結果、ソ連に飢餓問題が発生したでしょうか? 否です。アメリカの輸出禁止措置は、穀物の輸出拡大機会を伺っていたヨーロッパなどの穀物輸出国にとって、またとないチャンスとなり、当時のソ連は必要な穀物を輸入することができました。
 問題が起きたのはソ連よりもむしろアメリカだったと言ってもいいくらいです。当時の対ソ連輸出禁止措置によって、アメリカ農業は大きな不況にみまわれました(原因はそれだけではありませんが)。80年代前半には、農家の夜逃げや自殺などがひんぱんに報じられる状況となりました。したがって、アメリカが当時やったように、日本に対する穀物輸出を禁じた場合、アメリカ経済には影響がないという主張は、素人の思い込みとしか言いようがありません。
 それどころかB氏の場合、穀物の輸出禁止ではなく、経済を断ち切った場合を想定していますから、農家の夜逃げどころではありません。アメリカ経済におけるジャパンマネーの存在は、それなくしては経済恐慌が起こるだろうとは、(右も左も関係なく)専門家の常識ともいえる見解だということも付け加えておきましょう。もし、これらの経済が断ち切られることがあるとすれば、アメリカには「然程影響はない」ではすまされず、それこそ、アメリカの工業製品の価格が暴騰することでしょうし、経済的危機の中で、飢餓問題が発生するかもしれません。なぜなら、飢餓問題とは、単なる食糧問題ではなく、むしろ貧困の問題であり、すぐれて政治的な問題でもあるからです。
 資本主義世界における食糧の供給とは、すでに述べたように、食糧の購買力を表しています。仮にそれが減った場合は、国民の取り分は、その国家内部の分配システムに応じて減ります。購買力のある層は食べ物に困ることはありませんが、購買力のない貧困層がその日の食べ物に困ることになります。つまり、資本主義世界における飢餓とは、食糧が足りないという状態を指すのではなく、食糧を買えないという状態のことを言うのです。した がって、貧富の差が日本よりも大きいアメリカは、大きな経済的危機を迎えた場合、日本よりも飢餓問題が発生しやすい国であるといえましょう。

 上にみたようなB氏のようなお粗末な主張では、日本はアメリカの戦争に文句を言えない、協力せざるをえないという主張に根拠を与えることはできません。実際には、不破議長がもちあげるマレーシアのように、対アメリカの貿易関係が大きいこの国でさえ、アメリカの戦争を支持していないことは特筆すべきことでしょう。
 ただし、マハティールがアメリカの戦争を支持しない理由は、あくまで日本みたいな長期安定政権を維持するためです。90年代の経済危機の際にIMFの処方箋を受け入れずに資本取引に一時的な規制をかけたのも同じ理由からでした。不破氏は、これを非常に持ち上げていますが、この手法こそ、自民党政権が不況時に公共投資で経済を一時的に刺激して政権の安定化を図ってきたのとまったく同じ手法であるということがおわかりになっていないようです。実際、マレーシアの資本取引規制は、経済が上向きになった現在では、すでにほとんど取り払われています。
 少し脱線してしまいましたが、要するに、日本でもアメリカの戦争に反対する声が巨大で、小泉政権を倒すような勢いがあれば、日本もアメリカの戦争を支持しないということにもなりえたのです。残念ながら、反対勢力の力が及ばなかったということです。
 それに関連してB氏は、キューバがアメリカの経済的制裁行為が怖くて、アメリカに相当の便宜を図ったと投稿で書いていますが、それはまったくのデタラメです。キューバでは、政府も政権党も、アメリカの戦争を厳しく批判していることは常識の部類に属します。
 B氏が言いたかったことは、おそらく、アメリカが戦争捕虜を在キューバ米軍基地に移送した際に、キューバ当局がアメリカに対して人道的援助の約束を表明したという新聞報道のことを指しているのでしょう。それが何か特別なことのように考えるのは、アメリカとキューバの関係の歴史を知らないことを白状しているようなものです。
 キューバは、アメリカと友好関係を築くためにこれまで一貫して努力してきています。キューバに武力を含む実力行為でもって敵対してきたのは他ならぬアメリカの側なのです。キューバは、アメリカの何がしかの政策に厳しい批判をしていますが、批判=敵対ではありません。
 反共言論の中には、日本共産党がアメリカの帝国主義的政策を厳しく批判していることをもって「反米」だとし、一方で中立政策を言うのは「矛盾」であるなどというものがありますが、B氏もそれにならっているのでしょう。しかし、国家間における政策「批判」は、あくまで平和的な言論行為です。貿易や外交などにおいて相手国に不利な行為を行なう実力行為こそが「敵対」でしょう。前者はあくまで国際世論に訴える平和的な国家行動ですが、後者は戦争への引き金となりかねない紛争行為です。両者は明確に区別されなければなりません。

 いずれにしても、日本が飢餓の危機にさらされるからアメリカ経済を断ち切る可能性のある政策変更はできない、という趣旨の主張は、経済が麻痺して飢餓の危機にさらされるから児童労働を禁止することはできないと言いはなった19世紀の貪欲な資本家の主張と同じだけ「脅迫的なデマ」であるとも言えます。すなわち、makkieさんのB氏の主張に対する評価はまったく妥当なものなのです。