「多数者という言葉」に疑問を感じるものです。多数は善なのか?
多数決で力の弱い少数者を犠牲にしても良いものなのか?
そもそも、「前衛」という言葉には時代の最先端を歩み多数者を導く少数者といったニュアンスがあると思うんですけど。
例えば、ある宗教なり政治思想なりの共感者と言う理由で村八分にするなんってのは「多数者」の利益ですよね。
近代人権思想にもとずいた「民主主義」には、多数決を一応の意思決定の原則としつつ、多数決の原理によっても侵してはならない神聖な、領域があること内包してると思うんです。
右・左を問わず「国民多数」とか「皆さん国民」の為の~といった形容詞に偽善的な響きを感じるのは私だけでしょうか?