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一般投稿欄

週刊金曜日の周辺についての私見

2002/7/31 桜坂 智史、50代

 私はつねずね、ichitake氏の見解に共感を覚えてきた。7月29日づけのご意見にも、共鳴を覚えた。氏は、「さざ波通信」新刊ニュースで、週刊金曜日の論調を厳しく批判する見解に異論を呈していらっしゃる。私もほぼ同様の意見である。
 さざ波通信を知ってから、日本共産党のなかにある良識と、他の政治勢力とも対等の立場で胸襟を開いて、ともに共同闘争の戦線を構築しようとする姿勢と努力を実感として感じてきた。
 だから、「金曜日」に対して、個々の見解や論説についての批判ならわかるし、私も金曜日を創刊いらい読んできて、そう思うときもある。
 けれども、金曜日に騙されまいとよびかける論調には、唐突な印象を免れにくい面がある。

 重ねていうが、週刊金曜日に批判することを非難しているわけではない。金曜日というメデア媒体そのものを否定する見解は、はたして生産的であり多くの民衆に呼びかけつづける妥当性があるだろうかという疑問である。

 なお、金曜日についての件なので、またふだんは金曜日に私はこのHNではなく書いているが、ちょうどよいので一言付け加えておく。
 意見の公平性を保つために、相手を名指ししない。あるジャーナリストに私は金曜日投書欄で質問をした。その返答が掲載された。私には該当しない内容が「妄想と無恥」と題され返答されていた。私はあまりに質問の立場とかけ離れた事実無根の罵詈雑言が綴られていたのに、呆れ果て、もはや相手にならないと思い、そのままにしておいた。知人の、元編集部幹部だったかたから、質問された。彼は、あれは正当な反論をしないと、人格の品性を根本から疑われた状態となる、と警告をいただいた。編集部に問い合わせたら、もはやその件では掲載しないと言われた。
 著名なマスコミ登場ジャーナリストが、投書欄で、質問に対して、批判や対論を述べるならわかるが、相手の人格にかかわるような書き方で貶める、そのような叙述のしかたに、私は強い不信感を抱いた。そしてもはや、金曜日誌上で失われた私の人格的品性の失墜は、戻ることはなくなった。反批判の掲載余地が二度とそこではないからである。
 2001年。私は「戦後社会主義運動にかかわる人びと」について、仮初人氏と数度にわたる論争をして、そのさきほどあげたジャーナリストを擁護した。今回、自らが被ったあまりに理不尽な言われなき誹謗中傷を公開されたばかりか、「ストーカーもどき」と際物めいた言葉で「デマ吹聴」「妄想」あげくは「加害者が被害者を演じる厚顔無恥」とまで書かれた。
 改めて仮初人氏に、的確に人物認識されていたのは彼のほうであり、私がさきほどのジャーナリストを実態とかけ離れて買い被っていたことを、痛切に自覚させられた。私の主観に比して、仮初人氏の叙述がより妥当であり、より客観的であったことをここに記しておきたい。
 なお、該当の週刊金曜日は今年の6月14日号と同28日号の投書欄である。また仮初人氏と私とのここでも論争は「一般投稿欄」の2001年8月で数回の応酬がなされた。